『人魚姫』 第六話


たっぷりと金髪碧眼の使用人に説教を受けて、母親からは涙を流しながらの熱い抱擁を強制され、兄であるアッシュの婚約者からは、これでもかと嫌味を貰った。
そうして久し振りに自分の部屋に帰って来ると、ルークの後ろから続いてアッシュも入ってきた。

「あれ、えと。もう今日は注意も小言も聞き飽きたから、明日以降にして欲しいな」

そういう理由で父親である公爵の説教も明日になっているのだが。
だが、アッシュは眉間に皺を寄せたまま、難しい顔でルークを見た。

「お前が、あちらに保護されていた間だが……」

アッシュの視線はルークを見ては足元を見て、キョロキョロとせわしない。
どうしたのだろうと、ルークは部屋の奥に進み、所定の位置に落ち着くと、アッシュもルークの部屋へ来た時と同様の所定位置に座った。

「ジェイドの事か?なんか陸にいた時も変に睨みあってたな」

多分、その事だと思ってアッシュに聞いてみると、アッシュもルークを見つめ、一つ頷いた。

「怪我の手当以外に何かされなかったか?」
「何かって?」
「余計な所、手術とか何とかされなかったか?」

突然何を言い出すのだろうとルークは首を横に捻った。意味が分からない。
検査と言われて全身の筋肉の状態やら血液検査やらはされたが、メスを入れられるような事は無くて、傷付いた鱗をはがしたり、薬を塗ったりと、怪我した時と同じような治療方法だったとアッシュに伝えると、何かを考えながらもアッシュは部屋から出て行こうとした。

「アッシュ、一体なんなんだよ」
「お前には関係ない。あの眼鏡……ジェイドといったか。あいつとは、もう二度と会うな。絶対だぞ」

治療してくれた相手を悪く言われ、ルークの頭に血が上った。とっさにアッシュを怒鳴りつけそうになるが、アッシュの鋭い睨みに息を飲む。
アッシュの表情はどこか必死で、ルークにジェイドと会って欲しくないと言っていた。
ルークが唇を噛み締めて、黙っているとアッシュも表情を一転させて「ゆっくり休め。お休み」と笑みを浮かべ扉を閉めた。
頭の中に映るのはジェイドの顔。
あの時の顔。
忘れて下さいと言った時、彼はどんな顔をしていただろうか。



確かな確証は無いけれども、もう一度ジェイドに会えたならと行動を起こすのは早かった。
あの時の言葉をはっきりと聞きたい。
そして別れの時に撫でてくれた手は優しく、アッシュが自分の腕を引いた時、二人の手は確かにお互いを求めていた。
アッシュや皆の目を盗んでやって来たのは、悪名の高い魔術師がいる海の中の洞窟だった。
不気味な草花が生えて、どこまで行っても暗い世界に、ロウソクのような一筋の光が導くよいに細く長く続いていた。
ルークはあまり周りを見ないようにして、その光の筋をだけを辿る。
洞窟に入ってどの位、たったのだろう。周りの水温が変わり、身を切る、痛い位の冷水になっており、ルークは、ただただ光を追う。
頭の中にモヤモヤした幻か広がるのを感じながらも泳ぎ続けた。

『ルーク、私が好きですか?』

今よりも若いジェイドが自分らしき人魚に問掛けていた。
ルークは目をそらした。
ジェイドの顔があまりに歪んでる。泣いてるの?笑ってるの?辛いの?嬉しいの?
笑っていて。
一緒にいた時のように仕方無い子ですねって笑って。
ジェイド、笑って。

『くくく』

崩れ落ちたルークの身体を光るメスで淡々と切り開き、指が内臓をえぐり、取り出す音と、水音。そして、自分の、粗い息遣い。

『ひぃぃたひ、ひぃたひっじぇーっっっどぉ』
『ふふふふっ』

ジェイドの笑い声が聞こえる。
まるで悪夢同士が共鳴していた。

『あぎゃゃゃゃゃゃゃ』

ぶちっと太い血管が切れる音と、かすれた高い叫び声は間違いなく自分の身体から出ていた。
ジェイドは……笑っている。

『あはははははははははは』

動かない自分。
自分の血を浴びたジェイド。
動かない自分にジェイドが、そっと身を屈めて、頬にキスをしていた。血に濡れた、頬に。
そして、すすり泣く声。

『ルーク、ルーク、ルーク』

ジェイドが何度呼んでもルークは動かい。死後の硬直か何かで不思議な固まり方を始めていて、血は急速に固まっていた。
最早、何もかもが明白。
なのに、ジェイドはそれ以上の悪夢を見せた。

『ルーク、寒いのですか?』

動かない自分の、空っぽな身体を、うつ伏せにして。
ジェイドは笑いながら、ルークを犯し始めた。
その幻を、ルークは音で聞いていた。
音じゃない、鼓膜に響く。
ジェイドの声と、自分の直腸に繋がる道が擦れる音と。
そしてジェイドが低くうめくと、部屋に静寂が訪れて、ジェイドの言葉が、聞こえた。

『済みません、ルーク』

その言葉だけが、やたらルークの耳に残った。
そして目を開くと、泣いてるジェイドの姿。泣かないで。悲しまないで。

「じぇい」
「これが、あなたが7年前に失った記憶よ」

映像が光に包まれ、細く長かった光が広がり、目の前には少し目のきつい、銀色よりは茶に違い髪を長く揺らす女性が立っていた。
突然の事と先ほどの映像が頭から離れないルークに、彼女は優しく笑いかけた。

「私はティア。海の魔女よ。初めましてルーク」

そう言ってルークの左手を取った。
途端に流れる映像は、ジェイドの前に立つ知らない女性だった。

『あなたは生きて罪を償いなさい』

生きなさい。
彼女はもう一度言うと、ジェイドに背を向けて着ているものを全て脱ぎ捨て、用意してあった部屋の中心の譜陣に踏み込んだ。

『ネビリム先生』
『ジェイド。生きなさい。逃げないのよ』

光が女性を包み込み、どこからか優しい歌声が聴こえた。
そうして。
女性の輪郭は段々と曖昧になり、その代わり小さな少年の姿が現れてきた。
それは自分。
解剖される前と同じ姿をして、五体満足で、内臓もあって……。
全てが女性からルークへと変換されていく。
そして光は細くなり残ったのは自分。

「これが、事実よ。ルーク」

ティアの声が聞こえたかと思うと、映像は消えて、ここは海底の洞窟だった。

「あなたが私に何を求めて来たのか、私は知っているわ。叶える事も出来る。でも」

繋いだ手を離し、ティアはルークに問掛けた。
ルークの瞳は大きく開かれ戸惑っている。

「それが本当にあなたにとって良い判断なの?」

ティアの声が響き渡る。

「あなたを生還させる為に必要だったのは、肉体の代わりになる者との血の契約。そして……その生を願った者が一生かけて償う罪の契約。この二つよ。肉体はゲルダ・ネビリム。契約は、ジェイドがルークに二度と会わない事。そして子孫を残さない事」
「子孫を残さない……」
「えぇ。あなたとジェイドが会わないという約束は、どんなきっかけで破られるか分からないから。ジェイドが子孫を残さない事によって、契約は守られるように彼の性機能は子孫が残せないように種の機能だけ消したわ」

消した、という言葉がやたらと綺麗に響いてルークの鼓膜を刺激した。
ティアはルークを見ると、微笑んでナイフを一本差し出した。

「あなたはジェイドに笑っていて欲しいと、言葉を欲しいと私の所まで来たわ。あなたとジェイドが会うのは必然だったのかも知れない。ただ、それでは契約の意味がなくなる。あなたは一度失った命を彼と、彼の恩師の命によって取り戻した。あなたに待つのは幸せでも何でもない死かもしれない」

言っている言葉は冷たいのに、魔女は優しく微笑んだ。

「それでも彼の笑顔を望むのなら、このナイフで、誓いを立てなさい。二度と戻れない。海には帰ってこれない。尾びれを捨て、二本の足で立ち、水を恐れ、太陽の光が満ちる世界へ踏み込むのなら」

私は手助けをしましょう。



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