『のぢしゃ物語』 第四話


 誰にも言ってはいけないと言われた言葉。それがルークを苦しめた。
 夜になると、赤い目をした男は何も言わずにベッドの中で、ただ抱き締めて眠るだけ。塔の中での情事が夢のよう。それを願ったのも、また自分だったか。
 夜中に目が覚めて、体が熱くないのが不思議だった。
 目の前で吐息が近く感じるほどに至近距離にいる男を見つめる。熱い溜息と共に想いが伝われば良いのに。
 ぐちゃぐちゃにして欲しい。現実が認識できないほどに、赤い目をした男のものになりたい。こちらの事情だって、もうとっくに分かっているのではないのか。

「ジェイド……」

 絡めていた手を外して男の頬を撫でる。どうして、そんなに優しくするの?
 お願いだから、あの人以上に強く縛って、がんじがらめにして欲しい。
 そうじゃないと不安になる。
 自分の嘘を見抜いて、そして傍にいさせて。


「今更、それはないだろう? ヴァン」
「私を買いかぶりですよ、ガイラルディア伯爵」

 沢山の人が出入りする酒場。ここは特に前科持ちの人間があつまる場所だった。自分の秘密は他人の秘密。逆もまた然り。顔を覚えても名前は尋ねない、そういう暗黙のルールをしいている。
 だから、自分がこうしてこの男に会っているのさえ誰も想像がつかないだろう。

「俺は、あんたがルークを幸せにするっていうから連れ出したんだぞ」

 琥珀色の液体が入ったグラスを、強くにぎりしめた。そして旧名で呼んだ男を睨みつける。

「それと、俺はもう伯爵じゃない」
「ふふふ、ではその伯爵では無いあなたが、何の用事があって来るというのです?」

 それは幼馴染と呼べる関係だったが、丁寧な態度は昔から。まだ自分の家が栄えていた頃のままで、居心地が悪い。これは復讐を果たすべきだった頃の約束が続いているからだろうか?

「俺は、もう復讐なんて望んでいない」
「あなたはそうでも、私はまだ足りない」
「俺はルークの世話係だった。だからルークを守る義務がある」
「それは随分前の話になるのでは?」
「確かにルークをさらった後、お前と一緒にキムラスカを出たが……」
「マリィ様の事は、もう良いのですか?」

 握りしめていたグラスの中で氷が溶けて軽い音がした。
 氷は溶ける。自分と、ルークの間にあった……違う。自分と見えないルークとの間にあった壁が壊れたように。
 そして、頭の中を整理して自分の中で納得のいく結論が出るように混じる。

「……姉上のことは、とうに振り切っている」

 そう言って首につけていたペンダントを撫でる。ペンダントには遠い日の誓いと、あの日の告解が入っている。彼が、泣いて頼ってきたあの日から。
 自分が守らなければと思っていた。いつも比べられていて下を向くことしか出来なくなった、あの赤毛の少年が唇を噛んで泣いていたのを見た瞬間から。
 自分は彼の一番の理解者であり、彼の一番の逃げどころになろうと思った。
 自分が失った逃げ場を、あの少年には与えようと。

「振り切った……か。変わったな、ガイラルディア」
「お前が過去に捕らわれているだけさ、ヴァンデスデルカ」

 グラスの液体を飲み干した。バーテンが寄ってくるのを片手で制して、立ち上がる。

「何をするつもりかは知らないが、これ以上あいつを泣かせるなら容赦しない」

 腰に差していた剣をかちゃりと鳴らした。一族の宝剣はキムラスカに置いてきてしまったが、これは今の自分の剣。マルクト帝国の刻印の入った、自分の信念がつまった剣。
 それを、確かめるように触る。

「なぁ、ヴァン」
「なんだ?」
 丁寧な態度はどこかへ消えていた。
 決別の時。

「今更、だ」
「忘れた時だからこそ、とも言う」
「復讐の相手を間違えるな」

 カウンターに金を置く。
 そして背を向けて歩き出した。

「マルクトもキムラスカも、ダアトも。何も間違っていない」

 それが、かつての親友にかけられる最後の言葉だった。
 これ以上は何を告げる事も無い。
 ヴァンはまだ液体の入っているグラスを誰となく掲げると、そのまま一気に飲み干した。背後で、バーの扉がチリンと鳴って扉が閉まった。


 チュンチュンと鳥が鳴いている。
 窓の外は薄紫で綺麗な朝焼けだった。
 目の覚めたジェイドは一晩中抱き締めていた赤毛の子から手を離す。
 眠っている間に逃げ出さないか怖くて手が離せないのだ。

「おや?」

 すやすやと眠る子の手が夜中とは違う位置にあったのに気付く。寝相……という位置でもない。何故、自分の顔のすぐ脇に手が落ちているのだろう?
 冷えていないか心配で触ってみるが子どもの体温は思った以上に温かいらしい。冷えていない事に安堵して、そっと起こさないように手を布団の中にしまってやる。なんだか温かい気持ちになった。

「おはようございます、ルーク」

 そっとその額に口付ける。
 自分に愛情という名の感情を教えてくれた子どもに、安らかな日々を。心も体も痛まない夜を与えていることに自己満足を覚えながら。



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