『のぢしゃ物語』 第五話
昼間は調査と云う名のフリングスとの茶会が待っていた。どうしてだが分からないが、とにかく一日中、誰かと一緒にいる。朝はジェイド。昼はフリングス。そして夜もジェイド。たまにガイが昼間一緒にいたり、フリングスの執務室でピオニーが待っていた事もあった。
塔にいた頃と違って、いつも誰かがそばにいた。
それがくすぐったいような、気持ち悪いような。
「今日は、何をなさるんです?」
自分の保護先であるジェイドが朝に必ず口にする言葉。今まで聴かれた事もなかった。
「今日はな!」
だけれども、そう言ってその日あった事を語る自分がいる。不思議だが嫌ではない。
だから、恩返しをしようと思った。
今日がそういう日だと教わったから。
「まだ内緒だ!」
と言うわけで、ルークは王宮の厨房に立っていた。
「大丈夫ですよ、ルーク殿。肩の力を抜いてください」
隣りで材料の確認をしていたフリングスが苦笑した。その身にはルークとお揃いのエプロンをしている。
「う、うん。俺、料理初めてだからさ」
「一度も包丁を持たれた経験がありませんか?」
「……ないな。そういう教育も受けてないし」
「ふふふ、大丈夫ですよ、包丁は使いませんし、火も少ししか使いませんから」
そう言って棚から大き目のボウルを取り出す。
「さ、見つからない内に作ってしまいましょうか、チョコ」
シルフガーデン・レム・14の日。オールドランドがお菓子で盛り上がる一日だった。
「つー事だ。今のところ、ルークに大きな動きはねぇぜ」
「皇帝陛下というモノが私室でベッドの上でぐだーっと寝転んで……公務は如何しました?」
報告をしようと謁見の間へ行くと側近に皇帝が体調を崩したので午前の公務はキャンセルと聞いた。だから心配してきてみれば本人は大した病気でもないようだ。一体、どういうつもりなのか。
「んー? なんだかアスランが城の中ウロウロされたくないって言うからさ。午前中はぐでーっとして過ごそうと思ったんだよ」
そう言っては足元にいる高価な首輪をつけたブウサギ……ネフリーブウサギを抱き上げる。
「……少将がヤキモチを焼きますよ」
「今更だろ。それにアイツも知ってるしな」
「可哀相な恋人ですねぇ」
「この日だけは特別なんだよ」
寝転んでブウサギを撫でる皇帝の頭の上にゴツンと書類の束を落した。
「いてっ」
「お暇なら読んで下さい」
几帳面な文字で書かれたレポートをだるそうにも目で追うと、それはルークに関しての報告書だった。
「あぁ。そういえば連れて保護したものの、どうするか検討してなかったな」
「ですから、いくつか提案をしているでしょう?」
ぺらぺらと書面を捲っていく。
「バチカル帰国は無理な話だろう」
「えぇ、無理だと思いますよ」
「……」
最後までページを捲り終わって、一つ溜息。
確か、彼が塔にルークを保護しに行く時に言ってやらなかったっか? その背中に。
「お前の嫁さんにするっていう選択肢は無いのか?」
「ありませんよ」
「どうして即答できる?」
「彼は私を愛していませんから」
眼鏡の奥の赤い眼がふっと自虐的に笑う。たとえどんな手段で彼の心を開いたとしても、彼が自分と体を重ねたのは事実で、結局は彼の体の上を通り過ぎた男の一人にしかすぎない。塔から出たのだって、自分のエゴを押し付けただけだった。
自分は何一つ、彼に与えられていない。彼を縛る理由も無い。
「っは。随分と殊勝じゃねーの? なんかあったのか?」
「陛下に心配される事は一切ありませんよ」
コンコンと控えめなノックが聞こえた。続いて、フリングスの声も。
「陛下、フリングスです」
「お、着たか! 入れ入れ!!」
失礼しますという声と一緒に足跡の無いフリングスがすっと部屋に入ってくる。その手には何かを持っていた。
愛らしいリボンと包装紙に包まれた箱。
「あれ、カーティス大佐。こちらにいらしたのですか?」
「えぇ。陛下に報告がありまして」
「ではすぐに執務室へお戻り下さい。彼が待っていますから」
「彼?」
「ルーク殿ですよ」
にっこりと返された笑み。そしてさっさと追っ払うような仕草をするピオニーに半強制的に部屋を退出させられる。いつもの彼らしくない行動に疑問符が出てくる。
というかどうしてルークが自分の執務室にいるのか分からない。何かあったのだろうか? そう思いつつ、執務室へと足を運んだ。
「あれ? いないのか」
綺麗にラッピングしたチョコの入った箱を持って執務室へ来てみれば、そこはものけの空だった。この部屋に入るのは初めてだったがなんだか落ち着く雰囲気がある。
ジェイドの愛用のコロンの香りが部屋中に充満しているからだろうか。この部屋には彼の存在しかない。
何もする事がないので、来客用なのか少し豪華めのソファに座る。と、その横にある本やら書類やらが無秩序に置かれている床が目に入る。これがフリングスの言っていた「近づいてはいけない場所」なのかもしれないなぁとぼんやり思った。陛下専用の抜け道を隠すカモフラージュの山だと言っていたが……。本当にあるとは思わなかった。
「ジェイド、喜んでくれるかな」
手元にあるチョコを見て、思う。
自分がどんなにジェイドに感謝をしているのか、塔から出してもらってどんなに嬉しい事だったか、一緒にいられるだけの幸せと、体を重ねたいと言い出せない苦しみとを持っている今に満足を覚えている事だけでも伝えたい。
たとえ、ヴァンの謀略が絡んでいようとも。
今だけは、この幸せを噛み締めている。
執務室のノックの音が聞こえて、聞きなれたジェイドの声がした。
渡したらどんな顔をするだろう。はにかんだ笑いでいい。笑って欲しい。
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