『のぢしゃ物語』 第三話


「あのっ」

 ルークが少しだけためらってピオニーの方を見る。
 一瞬だけ「ん?」とガイが首を捻ったが、ピオニーがにたりと笑いガイの方をにんまりと見てニターと笑ったのを見て、気がそらたらしい。ルークから視線を外す。

「どうだー綺麗だろーガイラルディア♪」

 自慢するようにルークの肩に手をかけて、頬をすりよせるピオニー。
 まるで愛娘を紹介する父親のようだ。

「陛下もいい加減にしませんと。少将に後で嫌われても知りませんよ」

 苦笑しながらもルークの空いていた隣にガイは腰を降ろす。
 言ったってきかない人だとは分かっているが、それでも突っ込まずにはいられない。

「いいえ。私が陛下を嫌うなんてありえませんから」

 さらりと言ってのけるフリングス。それを聴いたピオニーがでれっと顔を崩した。
 この人は本当に皇帝だろうか、という顔。

「おい、聴いたか、ガイラルディア!アスランもとうとう俺の事好きだって」
「一臣下として、ご注意申し上げる事はありますけどね」

 優しい笑顔の後ろのブリザード。ピオニーがカチンコチンになる様が面白い。ガイがいつもの事だとやれやれと肩をすくめる。ルークはそれにクスリと笑った。
 思っていたよりも、怖い人達ではないのかもしれない。ジェイドに誘われるままに塔を出てきたけれども、これでよかったのかもしれない。

「っと。それで、ルーク姫」
「え?」

 名前を呼ばれてびくりとしてしまう。
 自分が何か悪い事をした気分になってしまうのは塔にいた時と同じまま。塔にヴァンが来てくれた時は二人きりだったから、お互いの名前も呼び合う事はなかったから、どうにも呼ばれ慣れない。
 そんな敏感なルークの様子に気付いたのかガイは悪い悪いと人の良さそうな笑みを浮かべて表情を崩す。

「ちょいと聞きたい事があるんだが……ヴァンがどうしているか知っているか?」

 ガイがまっすぐにルークを見つめてくる。それを自分に男は聞くのか。
 だって、あの日、見ていたではないか。

「師匠は……あの日、ジェイドと話しをしてから行方不明です」

 おずおずと言っていい事と悪い事を選別する。
 言わなければ誰にもばれない。師匠と自分だけの最後の約束。それさえ守れれば、身体を売らずにいいと言われたから。言ってしまったら、また塔に戻ってお仕置きだと言われたから。もう、あんな思いはしたくない。
 カップを持つ手が震えていた。ゆらゆらと揺れる液体に移る自分の顔は不安で歪んでいる。

「そっか。あーまた仕事が一つ増えた」

 頭をかかえるガイを見て、冷凍から解凍したらしいピオニーがおっと口を挟んだ。

「なんだガイラルディア。あいつに仕事頼まれたのか?」
「いえ、なんですか。その自分の身内の不祥事は自分で解決しておかないとと思いまして」

 フリングスがどうぞとガイに紅茶を入れる。それを有難うと受け取るとカップに口をつけて中身を飲む。

「あのっ」

 ルークがガイの表情を見て、何か聞きたそうにしているのをピオニーが答えた。

「そういえば紹介してなかったな。彼はガイラルディア・ガラン・ガルディオス。旧マルクト領地ホド島の領主ガルディオス家の跡取りだ。地位は伯爵。ヴァンデスデルカの君主だ」

 ガイはどうもと頭を下げた。改めて言われる事実に寒気を覚えた。何もかもがヴァンに筒抜けになる。

「仕事といいましたね。ヴァンの事ですか?」
「旦那も困っている様子だったんでね。ルーク姫なら知ってるかと思ったんですけど」

 あてが外れましたと肩をすくめるガイ。そして湯気を立てているマフィンを一つ手に取るとマーマーレードを付けて食べる。「これ、美味しいですね」そう言って食べるガイをルークは見つめていた。
 膝の上に戻したこぶしがガタガタと震えていた。
 ヴァンの事も自分の事も、これで終わりだ。





 ルークの絶え間ない緊張感とは裏腹に歓談の時間は過ぎていく。やがて、仕事の時間だと席を外したピオニーとフリングス両名のおかげで、今はガイと二人きりである。
 何を話したら……いや。どこまで話したらいいんだろうと思う。

「さて。二人きりだな。久し振り、ルーク坊ちゃん」

 それはガイから始まった。

「……」

 緊張の為に言葉も出ないルークを見るとガイは、昔のようにぎゅっとルークをその胸に押し込めた。

「ここにはヴァンもいない。安心しろ」
「う、うん」

 久し振りの温かい胸に緊張で震えていたからだが落ち着くのが分かった。屋敷で兄と比べられていつも落ち込んでいた自分をこうしてガイはあやしてくれていた。懐かしい記憶だった。

「あん時は済まなかった。俺もあれから色々考えたんだ。だからこうしてマルクトにいるんだけど……」
「ガイとはもう喋っちゃだめだって、師匠に言われてた」
「だろーなぁ。あれから俺、お前がやらされた事聞いてヴァンに突っかかったし」
「ずっとガイの事考えてた。屋敷の中で俺の味方はガイだけだったし」
「そいつぁ光栄だな。大丈夫だ。もうあんな生活は送らせないから」

 ルークがおずおずとガイの背中に手を回した。ぎゅっときつく。
 ガイの手がルークの頭をゆっくりと撫でた。

「もう、俺とヴァンは繋がっていない。だから安心してくれ」
「……うん」
 すりっと頭を寄せてくるルーク。その反応がガイは懐かしかった。

「ヴァンの居所、本当に知らないんだな?」
「……知ってる」
「そうか」
「本当は知ってる。だけど、それを言うと」
「まずいのか?」
「俺はまたあの生活に戻る事になる」
 がばっとルークが頭を上げてガイを見た。その目は必死だった。
 知らない男に身体を蹂躙される事は、ルークをひどく臆病にさせたらしい。かつて、ガイが知っていた頃の傲慢さが欠片もない。嗜虐心を煽るような、目。
 これに見つめられたら、どうなってしまうんだろうか。

「つまり、信用されてないんだな、俺達」

 自分の中でくすぶっていた、あの頃の心が蘇ってきそうで、慌ててルークを引き離す。
 言葉と行動が誤解を与えてしまったのか、ルークが逆にすがりついてきた。

「そうじゃない!あのっ、そのっ。ごめん……」

 声はだんだんと小さくなっていき、最後にはルークが唇をかんで終わった。

「いいさ。俺達を信用できるようになったら言えるだろうしな」

 必死につかんでいたルークの手をはがす。それでも尚、離れたくないとガイにすがってくるルークを止めると、扉に向って声をかけた。

「旦那も、いつまでそうしている気だい?」



 ぎぃっと扉が開いて、会釈したままのジェイドが現れた。

「流石伯爵ですね」
「しゃぁしゃぁと……いつから聞いていたんだい?」
「陛下達が退散してからです」
「全部じゃねーか。喰えないオッサンだぜ」

 コツコツと音をたてて近づいてくるジェイドに露骨に怯えるルーク。先ほどの会話が全て伝わったかと思うと、ジェイドが怖かった。なにを、聞かれるのだろう。

「ルーク」

 ジェイドが声をかける。
 するとガイの背中にささっと隠れる。これでは謁見の間の時と同じ状況である。
 ガイが苦笑してジェイドを見る。ジェイドはそんなガイを見て眉にしわを寄せた。
 会話の内容からルークはガイを信用しているようだし、ガイの信用もそれなりに取る事が出来るのが分かったが自分以外の人間の背中に隠れるルークが気に入らない。
 これが年齢の差であろうか。いや、違う。人徳の差か?
 どちらにせよ、ガイにはあって自分にないものといえば、人懐っかしい表情である。今更どうにもできないものだ。

「ルーク。怯えないで下さい」

 眼鏡を上げふるりをして、眉間によったしわを隠す。

「俺、ジェイドに嘘ついてた」
「そうですね」
「ガイには、言える事もジェイドには言わなかった」
「それはヴァンの居所だけでしょう?」
「隠し事しないって約束した」
「ルーク」
 押し問答にだんだんとイライラしてくる。
 あなたが頼っていいのはガイではなくて、自分だ。
 だから、ガイの後ろに隠れているルークを思い切り自分の方に引き寄せた。驚いているルークを抱き締める。

「あなたの嘘にしばらく騙されてあげます。安心してください」

 だから私以外に懐かないで下さい。
 ぎゅっと抱き締めた。
 何を聞かれるのか、怖かった。嘘をつかないと約束した自分を、信じると言ってあの塔から連れ出してくれたジェイドを裏切る形が怖かった。それを知られて怖かった。拒絶が怖かった。
 だけどジェイドの腕が優しい。

「大丈夫ですよ、ルーク」

 いなくなりません。
 そう言って耳にキスした男の体温が、温かかった。







「俺の存在、忘れてないか? 旦那……」




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