『人魚姫』 第五話
「はぁ!?おま、馬鹿じゃないのか!」
結果報告がてらピオニーの元へ行くと、途端に罵声を浴びた。
何なのだ。
余計な事をしてくれて恩人気取りかと口走りそうになるのを舌先で止めて飲み込む。
「どちらが馬鹿ですか。検査も満足に出来なくて不満タラタラですよ、陛下」
「明らかにお前だ、お前。お前が馬鹿者だ!」
「いい根性してますね。下の口に貴方の生まれ年のエンゲーブ産高級ワインをご馳走しましょうか?」
「皇帝勅命で全部回収してやるから大丈夫だもんね〜」
「おや、ではフリングス少将の屋敷からも回収しなくてはいけませんね。少将も可哀想に。想い人の生まれ年ワインを、その本人によって奪われてしまうなんて」
「っぐ!」
「きっと特別大事に保存してあるでしょうに」
「ちょ、ジェ」
「まぁ私には関係ありませんが。さ。回収なさるならお早めに。じゃないと陛下がみっとも無い状態になったのをフリングス少将に見せますよ」
「この鬼畜!」
「お褒め頂いて恐縮です」
ピオニーな半ば涙目でジェイドを睨むと、ブウサギのアスランを引き寄せて「嫌いにならないでくれ、アスラン!」と鼻水をすすりながら喋りかけた。
それを冷ややかに見つめながらジェイドはルークの状態とリハビリ計画について淡々と書類を読み上げる。
「なぁ、嫌いなのかルークの事」
「いいえ。嫌いとは言ってません」
「好きなんだろ」
「好きとも言ってません」
言葉遊びも程々に、そう言って、部屋を後にしようと背中を向けた。
その瞬間、ピオニーが声色を正してジェイドに問掛けた。
「罪を償う方法は、必ずしも契約内容を守るだけとは限らないぜ」
ジェイドは答えた。
「私にもう一度、彼を殺せと仰るのですか」
「そうじゃない」
「では、何なのですか」
「気付いていないのか?」
ピオニーは信じられないと目を見開いて、語尾を上げた。
つられてジェイドが顔だけピオニーを振り返った。
「あの時も今も、お前すごく泣きそうな顔してるぞ」
ルークを海へ帰す日が来た。
ルークが体力を取り戻し、海の奥にあるキムラスカ王国まで一人で泳いでいけるのか十分に検討を重ねた上での帰還日だ。
極秘の保護だった為に最低限の人間以外は立ち上っていない。
陸はジェイドとピオニー。
海は……ジェイドの連絡によりアッシュが来ていた。
ルークによく似たアッシュの瞳が鋭く細められて、ジェイドを睨んでいる。
「海の民を代表して礼を言わせてもらうが……まさか保護したのがお前だったとはな」
ルークと同じ顔の造りのはずなのに、印象は全然違うアッシュ。
ルークは朗らかによく笑うが、アッシュはきっと苦笑するように笑うのだろう。
ルークの様に感情を抑えないで自由に笑う事など、無いのだろう。
「契約を忘れた訳ではありません。たまたま、偶然です」
「何もしていないだろうな」
「そちらの国の研究所に資料を送っておきました。帰られたら確認下さい」
ルークの様に話を脱線させる事もない。
ルークの様にこちらを伺うような、犬みたいな行動を見せずに、アッシュは眉間に一つの皺を寄せてピオニーを見た。
「マルクト皇帝。こいつの言ってる事は本当か?」
「あぁ。心配するな。何もしちゃいない」
それを聞いて、アッシュは心配そうに事の成り行きを見守っていたルークの腕を引っ張った。
よろけるルークをしっかりと抱き締めて「帰るぞ」と力強く囁く。
ルークは、安心した様な笑顔を見せて一つ頷いた。
それをジェイドは……苦虫を潰したような目で見ていた。自分の前では見せなかった顔をアッシュの前では見せるのか。
「ルーク」
何も考えずに声をかけてしまった。
ルークはジェイドを振り返ると頭を一つ下げた。
「ジェイド、お世話になりましたっ」
あれからぎこちない関係を続けてしまって、結局満足に会話もしていない。
何だかルークの顔をまともに見たのは久し振りだ。
ルークの顔を見たら、何故、自分にはあの笑顔を見せてくれないのか問い正したい気分になる。
しかし自分と彼の関係はそういうものではない。思い出せ、以前の思い出も持っていない、今回が自分と初めて対面した相手だ。
久し振りに会って大きくなった、と思ったのは自分だけだし、元々可愛らしい一面はあったが随分綺麗になったと思ったのも自分だけ。
7年の歳月を懐かしんでルークに勝手に親愛を抱いていたのは自分だけなのだ。
親戚の子どもとは違う。
「いいえ」
表面だけは平然としてルークに言葉をかけた。
自分の中の気持ちをどうにか整理したい。何故、今になってルークを手放したくないと思うのか彼に聞きたい。
ルークは、また自分の元から去っていくのか。
「また怪我しないように気をつけるんですよ」
そう言って頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めてルークは笑った。
「子ども扱いすんなっ」
それはそれは嬉しそうに、幸せそうにルークは笑った。
アッシュがルークの腕を再び引っ張っる。
ルークはピオニーにもペコリと頭を下げるとジェイドの手を名残惜しむように手を伸ばした。
そして、海に消えていった。
「ほら、その顔だ。ジェイド」
ピオニーがため息混じりで呟いた。
「好きじゃないんだったら、何でそんな顔をする」
「あなたには関係ありません」
眼鏡を押し上げて、目元を隠した。
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