『人魚姫』 第四話


ニヤリと笑ったピオニーが言った事はあまりに唐突でルーク自身、どうしたら良いか分からなかった。
いや、実際にそんな事を思ってもみなかった事で、あまりにいきなりで戸惑ってしまう。
悩み始めたルークを見て満足気な顔をしたピオニーは、ルークの気付かぬうちに退席し、部屋にはルークの尾びれが水面を漂うちゃぷちゃぷという音が響いた。

「優しい人だな、とは思ってたけど」

そうだったなんて知らなかった。
否定感情は持っていないけれども、身近にそういう人がいないから分からなかった。
ピオニーがいうには、良く考えて返事してやってくれとは言われたが……。

「むー」

考えれば考える程、だんだんと顔に血液が集まってきて熱くなる。
ジェイドが、自分を、好き。
たった3つの単語。
それが何だかこそばゆいようで嬉しいようで。
実際、海の国に友達と呼べる存在はいない。
皇帝の息子だからと、一般の子ども達とは別に宮殿で双子の兄であるアッシュと一緒に勉強をし、外の話を聞けるのは世話係のガイとの一幕一幕にすぎない。
特に、本の中では知っていた恋愛感情を家族以外の誰かから持たれるというのはルークにとって初めての事で、一体どういう顔をしてジェイドに会ったらいいのか分からない。
熱を持った頬を冷やすようにルークはスルリと水の中に潜った。
ジェイド。
ジェイド。
頭の中がジェイドという単語で一杯で、どうしたらいいのだろう。



「ルークー。水から出てきなさいー」

定期健診の時間だと、ジェイドはルークの部屋に訪れた。
しかし部屋の中にルークの姿は無く、水面を覗き込むと赤い髪が水と遊んでいて、時間にも気付かずに中にいるのかと声をかけた。
すると、沈んでいた赤がグンッと浮上してきて……水面間近で少し止まって、ちゃぶんっと目の高さまで水面から上がり、そのまま静止した。
一体なにをやっているのだろう。

「ルーク?」

いつもは寂しいのか、人が来るとすぐに顔を出すというのに、こちらを焦らせるつもりなのか一向に岸に寄ってこない。
ジェイドをじっと見つめて何やら複雑な顔をしている。
……これは何か陛下がやらかしたに違いない。
ジェイドの直感が金髪碧眼の褐色肌の皇帝陛下を示した。
一体何を行ったのやら、とにかくまだ海に帰していいのか判断している最中に面倒を起こしてくれたものだ、これは学者としての意見だ。
幸い、昔の彼を犠牲にしたサンプルによって人魚についての生態は、はっきりとしたし、あの頃より医学が進歩し、そして海の国から大分資料が取り寄せられるようになった。
しかし、頭の中で練っていた治療計画がガラガラと音を立てていくような、そんな気分。

「ルークー。陛下に何を言われたのかは知りませんが、こちらに来ませんと話は進みませんよ」

ごぶっ
ルークの口元で悩むようなルークの思考を汲み取っていた泡が、盛大に膨らんで弾けた。

「な、んで、陛下がっ」
「おや、図星ですか」

ヤマを掛けたというには直感で確信だが、やはり犯人は彼だったらしい。
何を言ったのかは分からないが、自分に関してというのは明白で……ついでに何かを思い出したのか、その頬がだんだんとルークの髪の色とは違った赤みを帯びていく。

「いいから、こちらに来なさい。話をするには遠すぎます」

自分が水の中に入って迎えに行けばいいのだが、面倒すぎる。
声をかけるとルークは渋々といった感じで岸辺にいるジェイドの近くへ泳いでくる。
頬は染まったまま。
一体どうしたのか。

「体調でも悪いのですか?顔が赤いですが……」
「え、や、これは、違うんだ、その」

歯切れが悪いルークに、本当に体調が悪いのだろうかと顔を覗き込むと、ルークは露骨に顔を背けた。

「嘘をつくとお仕置きですよ」

半ば脅しのように言うとルークは「嘘じゃねー!具合悪くなんてない!」と叫ぶように言った。
しかし真っ赤な顔をしたままで言われても説得力はないのだが。
ジェイドの脅しが続く。

「では、どうしました?納得のいく答えを教えて頂けなければ、主治医として、あなたを一生、陸に縛る事だって出来るんですよ」

一生、陸。
ルークがビクリと肩を震わせた。そして、恐る恐る口を開く。

「その、あの。陛下がな」
「はい。陛下が?」
「えと。ジェイドが、その。俺の事好きだって。家族になりたいんだって、聞いたんだけど」
「……」

頭にクエスチョンマークが飛ぶ。
あの男、本気だったのか。
と言うか、言ったのか、この子どもに。
生まれてから7年ほどしか経っていない幼子に。
頭の中が真っ白になっているとルークが顔全体を真っ赤に染めて、こちらの様子を伺っている。
なんというか。
好きとか嫌いの前に治療対象な訳で、何の因果か怪我をしたルークを拾ってしまい、外交に使えると判断して保護した。ルークの身体を調べる内に、あの時のルークだと気付いたのはすぐの事で、それからなるべく距離を置いて付き合っていた。
ピオニーもあの時の契約内容は知っているはずなのに、何故。
それに、自分はまだ、彼を好きだと決まってない。

「あの、ジェイド」

沈黙に耐えられなかったルークがジェイドに問掛けた。

「あの、さ。俺、小さい頃の記憶無いし、どうしたらいいか分からないんだ」
「……忘れてください。あなたは帰るんですから」

ジェイドの唇から漏れた言葉が、静かに部屋に響き、ルークの瞳から涙が溢れ、ジェイドは喉の奥が詰まり、声が出なかった。



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