『あの日から』 more?
「……!」
「どうした、ルーク」
歩いた道を急に振り返り、ルークは何かを探すように視線をさ迷わせた。
しばらくすると目を閉じて耳を澄ます。けれども風の音以外には何も聞こえない。
「声が」
「声?」
「声が聞こえたような気がしたんだ」
言われてアッシュも耳を澄ましてみたが、聞こえるわけもなかった。
「野盗か殺しとかじゃないのか?」
「違うよ、アッシュ」
ルークは首を振った。
「あれは、きっと俺を呼ぶ声だ」
誰のとは聞けなかった。
コンタミネーション現象でアッシュがルークに溶けた時に、見えてしまった感情。
焼ききれそうな想い。
「ジェイド」
ルークがポソリと呟いた。
会いたい、とは続かなかった。
ルークがジェイドに一度捕まって、解放された後にアッシュの意識は急に浮上した。
ローレライの力により、ルークに遅れて、ようやく肉体が復活出来たらしい。
ルークの魂からアッシュの魂が抜けると、まるでアッシュの魂が封じ込めていたかのようにルークの中に一気に旅の記憶が蘇った。
仲間の名前や些細な事を全て思い出したのだ。
自分の名前も。
罪も。
「思い、出した」
仲間の名前を次々と呼び、良かったと泣き笑うルークの様子を蘇ったばかりのアッシュはどうしたのかと首を捻り眺めていた。
そして身体を再び得たばかりのアッシュを連れてルークは再び探しものの旅を続けていた。
アッシュは目的を。
ルークは手紙を。
探していた。
柔らかい風が二人を包み、旅は進む。
街を見て、人を見て、アッシュは少しずつ国についてどうあるべきかを語り始めた頃、ルークは唐突にジェイドと自分の関係をアッシュに話し出した。
知っておいて欲しかったと、真摯な瞳の前に以前から知っていたとも言えずにアッシュは黙って話を聞き、納得した表情を作ると安心して、頬を染めたルークの純情さを垣間見る。
何度もマルクト軍が駐屯する街を通り過ぎたが、それでもルークはその名前を呼ばなかった。思い出したのなら会いに行けばいいだろうとアッシュが言うと、手紙を見つける迄は会えないと、首を振った。
「アッシュだって、まだナタリアに会えないだろ?」
知ったような顔でルークはアッシュに問掛けた。
「俺とお前じゃ違うんだ。いつでも会えるから、こうして旅に付いて回ってるんだ」
「そうなのか?」
空が青いと指をさす。
鳥が歌うと、鼻歌を歌う。
風が吹くと、ルークは足を止める。
「呼んでる。でも、まだ帰れない」
ごめん、とは続かない。
代わりに瞳を閉じて脳裏に描く男に笑顔を見せた。
「具体的に手紙の内容は思い出してるのか?」
こんな広い世界でたった一枚の手紙を探すなんて、文字通り砂浜に埋もれているダイヤを見つけるようなものだと、アッシュは元から深い眉間の皺をくっきりと刻んでルークに尋ねた。
ケセドニアの夜。
酒場で遅い夕飯を取っていたルークは千切り飲み込みかけたパンが変な所に入り、ゴホッと咳き込んだ。
アッシュは無言でルークにオレンジジュースを差し出すと、ルークはゴクゴクと一気に喉に通し、落ち着いたと思うと真っ赤になった。
「お、おおお覚えてない!」
「はぁ?屑が。内容も覚えてない手紙など探せるか」
「や、ほんっとーに!ぜんっぜん思い出せねーの!」
「じゃぁ何でそんなに赤くなっているんだ」
知らないと首を振るルークを見ながらアッシュはアイスコーヒーを口に運んだ。
固くならながら、機械的にパンを千切り口へ持っていくルーク。
ひらめいた。
「あの眼鏡の愛の言葉でも書いてあるのか」
「!」
パンでは無く、オレンジジュースが口から鼻にかけて逆流しかけた。
「っげほ!んなっ!ぐ!ゲホッゴホッ」
「動揺しすぎだ。阿呆が」
タオルを差し出し、アッシュは呆れた眼差しでルークを見た。
とことん初々しいというか、目が離せない。
子どもらしいというか、矢張り肉体年齢よりも精神年齢が重要なのかと思う。立ち振る舞いは、人が見ている場所では相応なのだが二人きりだと無邪気に笑い、感情を殺そうとはしない。
アッシュが以前、遠い場所に置いてきたものをルークは持っていた。だが、今のアッシュが持っているものは、ルークは持っていない。
17年間と7年間の違い。
以前は憎しみだけがあった。
それが今では同じ顔をした弟のようだと、アッシュはため息をつく。
一度弟と思うともう世話を焼き放題で、アッシュはあれこれとルークにつっかかった。
楽しいようなイライラするような。
時折見せられる大人の姿と、普段の好奇心旺盛でいて、明るく笑う姿のギャップに驚く。
これにジェイドは惚れたのかと、内心複雑だ。
ガイの心境が移りつつ悪い男に捕まったものだと思いながらアッシュはルークの手紙探しを手伝っていた。
「具体的な特徴とか無いのか?」
「具体的っつってもなー香りはもう無いし」
ごにょごにょとルークは答えた。
「香り?」
「あーかくかくしかじかでー」
「かくかくしかじかじゃ分からん」
「あーあーんーと」
赤くなりながらもルークは事の顛末をアッシュに語った。
その女垂らしのような手法に開いた口が塞がらない。
紙に自分愛用の香水をふりかける35歳の青いマルクト軍服を来た中年の姿に嫌悪が隠せない。
相手は7歳の教養もないレプリカの子どもである。
一体、何が伝わるというのだろうか。
「香りだけでも届けたいって言ってたんだ」
ようやく皿の上を片付けたルークは食後だと運ばれてきたコーヒーに砂糖とミルクを入れ、飲んだ。
「手紙はきっと父上が捨てるけど、香りだけなら空気を伝って俺に届くって言ってた」
手紙は何かある度に出して、読み返して香りに包まれたとルークは語る。
ジェイドに見つからないように、隠れて、隠れて、手紙を読み返しては確かめたという。
「ふんっ気障だな」
「だろ」
照れ笑いをする。
同性だというのにまるで男女のような戯れをして、幸せそうに微笑む自分のレプリカをアッシュは信じられないと鼻を鳴らした。
「そんな気障な所も、好きなんだ」
「相手はマルクト軍人で男で、一回り以上、年上なんだぞ?」
「関係無いよ。好きだから」
迷いなく言うルーク。
「お前の事はもう忘れているかもしれないんだぞ」
「それでもいいんだ」
彼がくれた優しさに触れた手紙さえ見つけられれば、自分から言えるかもしれない。
言葉にした事は一度も無かった。
その言葉を言ってしまえば死ぬという決意が揺らいで、きっと逃げてしまったから。
優しい人だから、一緒に逃げてくれたかもしれない。でもそれでは、ダメだから。
「ジェイドから貰った手紙の答えを、返す為にも」
異国情緒溢れる街中の酒場。
幸せそうに微笑むルークをアッシュは複雑に見つめていた。
言ってしまいたいと唇を引き締める。
言っては駄目だ。
「ルーク、急に黙ってどうしました?」
ルークのすぐ隣に腰掛けていたジェイドがルークを覗き込んだ。
部屋を明るく照らす譜業灯が二人の影を一つに映し出す。
「な、何でもない」
慌てて顔を背けるも、ジェイドはルークの顔の動きを遮って、そのグローブを外した冷たい指先で頬に触れた。
「本当に何でも無いんですか?」
「ないっないから!」
離せよ!そう暴れるとジェイドはルークを座っていたベッドにギシリと音を立てて押し倒した。
「ねぇルーク」
「なんだよ」
「少し、触れ合いますか?」
つつつと、ジェイドの指先がルークの首をなぞる。
ゾクリと背筋に何かが走り、見上げるといつの間に眼鏡を外したのかジェイドの赤い目が近い。
まさかと思う。
言ってしまいたいと心が叫ぶ。
言えないと唇を引き締める。
「あなたは何もしなくて良いです」
ぷつん。
ボタンが外される。
期待してしまう、これ以上触れたら、きっとあふれてしまう。
舌が唇をなぞり、重なった。
唇から叫ぶように想いが伝わればいいのに。
本当は知っているのだろうか。
深くなる口付けに悩む心を押しやった。ジェイドが触れてくれた喜びを、今は胸に享受して熱を覚えていよう。
「ひっうっ」
「大丈夫です」
優しい眼差しに本当は全て知っているんじゃないだろうかと思いながら熱の奔流にさ迷った、夜。
「おい、屑。いい加減に起きろ」
スパン!と聞くには気持ち良いが、叩かれると痛い音がルークの脳みそに響いた。
毎朝こうやって起こされるのも慣れたもので、ルークは布団に潜ると、むにゃむにゃと背中を丸める。
「あと5ふーん」
「さっさと起きろ!」
ゲシッ
寝ても覚めても痛い蹴りがルークの腹部に襲いかかり、本日の目覚めとなった。
具体的な手紙探しといっても紙切れ一枚。
砂漠のどこぞに埋もれただろうし、水に流れたかもしれない。風に乗ってどこまでも飛んでいくだろうし、料理屋の油取りにでもなる。
いつの日か突然目の前に表れるなんてロマンティックがあるはずもなく、ルークの手紙探しは、いわば今まで旅してきた所を繰り返して歩いているだけだった。
まだ思い出せない一文があるらしい。
ケセドニアの港で定期便を待ちながら、ルークは広く長く続く地平線を眺めていた。
「おいルーク」
「なんだ?」
「手紙の内容を思い出したら、どうする気だ?」
「みんなに会いに行くよ」
みんなが、誰、とは言わなかった。
アッシュも頷いた。
「それまで俺も付き合う」
「ありがと」
ホド跡地に着いたのは日暮れも過ぎて、暗くなってからだった。
ユリアの墓だけは不思議と損傷が無く、二人並んで手を合わせた。
一番、状態の悪い決戦地跡には何も無く瓦礫しか残っていない。
「なにも、ないな」
アッシュは自分が倒れた為に出来ただろう柱にこびりついた血を眺める。
ルークは瓦礫の中を無言で覗き込んだり、砂ほこりを払ったりしている。
どの位、そうしていただろう。
すすり泣く声が聞こえた。
小さくて、でもはっきりと。
「なんで、思い出せないんだ」
悲痛な叫びはアッシュよりも少し高めの声。
「会いたいのに。今すぐにでも伝えたいのに」
瓦礫の中で座り込んで、肩を震わせている。
「ジェイド、ジェイド、ジェイド、ジェイド、ジェイド、ジェイドジェイド」
かすれた声で呟いた。
「会いたい」
「好きだ」
「好きだ」
「好きだ」
「好きだ」
「好き」
空を見て、再び生を授けたローレライに向かって。
「ジェイドが好きだ」
手紙を開ける手は震えていた。
アスターは手紙の内容を知っているのか、静かに笑っているだけでルークの行動を見守っている。
カサリと開いた手紙からは、いつも彼が愛用していた香水の香りがした。
恐る恐る手紙を開くと、小さなポストカードに一言だけ書いてあった。
もっと沢山、言う事があるだろうに。
ルークは不思議と笑っていた。
それでも、その一言が嬉しくて、涙が止まらない。
横でミュウが心配そうに見ている中でルークは、その一言を胸に刻んだ。
手紙というものを肉親・仕事以外で送った事が無い事に気付いたのは、ペンを取ってからだ。
しまった、と思う。
再び軟禁されているであろう彼へ。
しかも相手はキムラスカ王族。
自分の手紙など握り潰されるだろう。
それでも、一度覚えてしまった感情を忘れる事が出来ない。
なんて書けば伝わるだろう。
なにが一番適切だろう。
緊張で震える手で、サラサラと書く。
しかし、やたら長くなるから大きく罰印を書いてゴミ箱に投げる。
ため息をついた。
ふと、手紙の追伸用の便箋が目に入った。
一言で、いいだろうか。
ジェイドはさっと香水を振り撒く。そして、一筆だけ入れた。
風が窓から吹くと手紙の香りが部屋に広がる。
「慣れない事はするものではありませんね」
自分の行動を鼻で笑い、インクが乾くまでそのままにしておく。
また、会える日を楽しみにしています。
ジェイド・カーティス
END
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