『のぢしゃ物語』 第六話


 塔から出る時にジェイドと約束した事は、覚えていた。
 嘘をつかないこと。頑張りすぎないこと。何かをするときは事前に相談すること。たった三つだった。その三つが。どれも重い。
 ルークはジェイドの屋敷から抜け出していた。
 空の月が高い。透き通った夜の空気が首元から吹き込んでからだがぞわりとなった。寒い。
 抜け出したと言っても、ジェイドは会議で遅くなるから先に帰っていなさいといわれて一足先に帰ってきた上の外出である。べつにこそこそする必要もない。ゆったりとした足取りで待ち合わせ場所へ向う。
 ヴァンとの待ち合わせ場所へ。

「師匠……」

 噴水に腰掛けて、なにやら考え込んでいそうなヴァンがすぐに目に入る。久し振りだった。
 ルークの声に気付いて、ヴァンもルークを見る。その瞳は冷たい。
 自分とは違って、久し振りだとかは少しも思っていないような、目。しかしその声だけは、変わらず優しかった。

「久し振りだな、ルーク」

 視線とは、まるで違う事を言われる。
 ルークはヴァンを正面から見る事ができずに俯く。

「どうしたのだルーク。ああ、ガイに話してしまったことなら気にしていない、大丈夫だ」

 ぽん、と頭を撫でられる。怒っていない。その言葉にルークはほっと肩の荷が降りる思いがして、顔を上げた。そこには。
 笑っていない目。

「約束をやぶった事を、ないがしろにしているのではない。上手くネクロマンサーの懐に入れたことと、これから先にやってもらう事で清算できる罪だという事だ」

 再びルークの体に力が入る。許されていない。罪。

「せ、師匠……」
「また男をここにくわえて、よがりたいなら、話は別だ」

 するっとヴァンの手がルークの尻を撫でた。服の上から、たどるように。
 それだけで、慣れた体がピクンと反応する。
 気持ち良い事だと教えてくれたのはヴァン。
 怖くない事だと教えてくれたのもヴァン。
 だけど。

「い、嫌だっ」

 ジェイドを好きになった瞬間に、汚らわしい体を疎んだのは自分。それはヴァンの否定と同じだった。
 あの人以外に触られて、あの人以外にねだる自分が嫌だ。あの人だけがいい。

「ふふふ。一度始まってしまえば全て同じだった頃とは違うようだな」

 そう笑ってヴァンはルークの下半身から手を離す。
 そうしてルークに背を向けた。

「ルーク。これが遂行できたら私はもうお前には関わらないことを約束しよう。お前の幸せさえ邪魔しない。お仕置きもしない」

 ヴァンが歩き出す。しかしその声は耳元で聞こえるかのように、響く。
 この人の命令は絶対。信頼。彼が自分を見捨てたら、自分は誰にすがればいい……?
 ジェイドの名前が頭に浮かぶ。浮かんだ。そして彼が自分を拒絶したら誰が? ヴァンが、ヴァンだけは裏切らないと言ってくれた。頭を撫でてくれた、許してくれた。
 この自分でさえ恋を知った瞬間に疎んだ体を、触ってくれる、ヴァン。
 全てが許される男が去るという事実にルークが愕然とする。

「せ、師匠!!」

 その服の裾を掴んだ。
 その手は無常にも、振りほどかれた。

「今更、まだ私を師と呼ぶか、ルーク」

 顔だけ振り返って、その目が冷たい。

「お前が私の忠告に従わず、あの男の元へ向った時点で、全てを諦めろ」

 声まで、冷たい。
 それは、威圧。

「師匠……」

 それでもルークはヴァンの裾から手を離さない。しがみつくように、離さない。

「……ふふ」

 その様子を見たヴァンが薄く微笑んだ。
 まるで全てが計算通りだったというように。そして体も完全に振り返ってルークを正面から抱き締めた。

「お前の気持ちはよく分かったルーク」

 耳元で囁いてやる。

「ならば、私とまだ繋がっていたいのならば、私の頼みを聞いて欲しい」

 簡単な事だ、とルークの顔を上げさせた。ルークがぼんやりと顔を上げる。目には薄っすらと涙が溜まっていた。
 何のための涙なのか、分からない。
 それはジェイド・カーティスの為の涙か。
 それとも自分への?

「ジェイド・カーティスの首を狩ってきなさい」
「!?」

 ルークがびくりと震えた。

「どうした? 私の為に働いてくれるんだろう?」

 確かめるように尋ねると、ルークはふるふると首を横に振った。

「でき、ない。それは、だって……」

 ルークがヴァンの体を離そうともがいた。それを押さえ込むかのように、ヴァンはルークの頬にキスを与える。
 以前の習慣か、ルークが動かなくなる。
 そう教えたのだ。キスは逃げないものだと。その後の事も忠実に守るようにと。

「うぅ……」
「何も本当に首が欲しいわけではない。あの男が死ねばいいのだ」

 動かなくなったルークを離して、ヴァンは懐から短剣を取り出した。それをルークの手に握らせる。

「ルーク。簡単な事だ。これを胸に突き刺せばいい。それ位なら塔の時でもやっていただろう?」

 もう一度ルークにキスをした。今度は唇へと。
 深いものではないが、何度も啄ばんで教えてやる。これは逆らってはいけない命令だと。

「……はい、ヴァン師匠」
「お前の働きに期待している」

 笑って頭を撫でてやった。それだけでルークは嬉しそうに頬を緩める。
 これならば、まだ使える。この子供はまだ使える。
 ヴァンは大人しいルークに、甘い囁きを送るのだった。

「この仕事が終われば、塔から逃げた事は全て流すから、頑張るのだ」







「どうした、ジェイド? 何か不安な点でもあるのか?」

 ヴァン捜索会議では、張り詰めた緊張感というものがない。
 それは面子がそうなのかもしれない。
 ジェイド。
 フリングス。
 ピオニー。
 ガイ。
 たった四人だった。

「いえ、別に」

 以前はそのほかにも沢山捜索隊がいたのだが、ジェイドがルークを連れてきて以来、必要最低限の面子で会議を行う事にしていたのだ。
 ピオニーの部屋で。
 お茶会を装って。

「それよりもガイ。あなたの話、信じていいんですね?」

 ジェイドが確認を取る。

「あぁ、信用してくれ。ヴァンは絶対にルークを使ってくる」

 それがいつなのかは分からないけどな、とガイは紅茶をすする。フリングスは湯気を立てるマフィンにチーズを塗ってパクリと頬張ると、でれーーっとピオニーがだらける。

「まぁ、アスランが付いてるから大丈夫だろ」
「陛下、あまり楽観視しすぎないで下さい。あの子、あれでも軍法会議にかけたら有罪確定なんですから」

 ジェイドが握るルークの物的証拠はとても表に出せなかった。
 何人殺しているのかは兎も角、現場から採取した音素からは自分の部下のものもある。

「いやー惚れた弱みってのがあるから、どうだかと俺は思うけどな」

 フリングスの口の端に付いていたマフィンの欠片を指先で取って、自分の口へと運ぶピオニー。

「……陛下!!」
「なんだーあすらーん」

 でれー。
 今日は話になりそうにない。や、ずっとこういう状態だったが。

「陛下」
「はいはい。分かってるよ。」

 ジェイドの声に、返す。

「各自滞りの無いように。ガイラルディア。任せたぞ」
「了解です」
「ジェイド、ルークを」
「受け賜りました」
「アスラン」
「はい!」
「今晩も部屋の鍵は開けておくよーに!」

 ジェイドとガイの秘奥義が炸裂した。



7話目へ







戻る