『のぢしゃ物語』 第二話


 仕事が一段落して、来賓用のソファで束の間の休憩を取っていたジェイドの執務室に控えめなノックの音が響く。

「どうぞ」

 そういえば先ほど人を呼んでいたことを思い出して、居住まいを正すと、扉から顔を出したのは呼び出しをかけていたガイだった。
 視線で目の前に座るように促して、彼の分のお茶を淹れようと立ち上がる。

「っと、いいよ。旦那。そんなに込み入った話になるわけでもないし」

 それを制したのガイの方だった。そうですかと眼鏡を上げて、再びソファに腰掛ける。
 目の前にいる男はマルクト帝国領であったホド島の元領主である。元が付くのは、もうその島は存在しないからで、キムラスカとの戦争が原因で海の底に沈んでしまったのだ。生き残りは多くは無いが、領主の長男であった事から優先的にグランコクマに避難していた為に不幸を逃れたのだ。
 今では、ピオニー皇帝の下で王宮に通いつつ仕事をしている。

「それで、どうしたんだ?」

 ピオニー経由で知り合った仲だが、お互いに気も使わずに良い付き合いが出来ていて、余計な話をしなくて良いからジェイドは助かっている。

「ガイ。つかぬ事を伺いますが、今、フェンデ家のご長男はどうなさっているかご存知ですか?」

 だから、余計な事も、飾る事もしないで聞く。これは大事な事だ。彼がヴァンと共謀していないとは限らない。それは直接ピオニーにも被害が及ぶし、自分の計画が彼にだだもれだという事だ。
 その問いに対してガイは目を大きく見開いたが、そのままゆっくりと瞬きをする。
 どうしてその名前が出てくるんだろう、という感じだ。

「いや。確か、ホド島崩落と同時に沈んだと記憶しているが?」

 まさか、生きていて見つかったのか?
 ガイの表情が、歪む。何かを思い出したのか、そのまま下を向いたが。

「昨晩、ルークをあの塔から保護しました」
「?あ、あぁ」
「彼はヴァンという男に命令されて、あの塔で淫蕩にふけっていたようです」
「なんでまた?」
「さぁ本人の口が堅いもので」
「……ヴァンが絡んでいると分かったら俺を疑うのか」

 すっとガイの目が細くなる。
 それを何食わぬ顔で流すのも、いつもの事だ。

「それはどうでしょう?第一、あなたがヴァンに会ったという証拠を掴んでいるわけではありませんしね。ただ小さい可能性から潰していこう思いまして」

 二人の間に張り詰めた空気が流れた。
 痛々しい雰囲気。

「……ヴァンが生きているなら、俺も言いたい事がある。連絡が欲しいくらいだ」
「信じていいんですか?」
「信じられないなら、俺も実験の材料にするか?」

 お互いの挑発に、さらに空気が凍る。
 しかし、ジェイドは眼鏡を上げるとふふふと笑った。

「いくら私でもあなたを実験材料にするほどの権限は持っていませんよ。伯爵」
「旦那なら了承なしでやっちまうとは思うけどね。それに、今や領地も何もない名前だけの伯爵だしな」

 ぎしっと立ち上がるガイが、ジェイドを見る。

「で、肝心の噂のルークはどこに?」
「さぁ、陛下に預けてきたので。今頃陛下の私室でまったりお茶でもしてるんじゃないですか?」

 あながち嘘に聞こえないジェイドの冗談に苦笑をこぼしつつ、じゃぁと手を上げて執務室を後にする。
 バタンと扉を閉めた後に、考え込むジェイドの顔なんて見ずに。

「……甘いですね、ガイ。あなたがキムラスカに数年間いて、その時にファブレ家の使用人として働いていた事くらい、知っているんですよ」

 もしかすると、誘拐事件に絡んでいるかもしれない。ガイもヴァンも。
 眼鏡の奥の赤い瞳が暗く光った。



「ほらーうまいだろ?」

 足元でブウサギがブウブウと鳴いてテーブルの上のものをねだっている。
 テーブルの上にはクッキーやらお菓子やらお茶の用意がすかっりと整っていてルークの目の前の取り皿にはピオニー推奨のお菓子がどっさり乗っていた。紅茶からは甘い香りがして、茶葉も上質のものを使っていると分かる。

「ほら、くえよ。これもうまいんだぜ?」

 一緒のテーブルについているフリングスは静かにお茶をすすっていてピオニーの行動を止めようとしない。

「あの、ちょ」
「ん?なんだ?違うのがいいのか?」
「そうじゃなくて!」

 へらへらと笑うピオニーには先ほどのような威圧感は感じない。
 とりあえず別室で話をするという運びになって、側近も何もいない、ルークとピオニーとフリングスの三人きりで向ったのは皇帝陛下の私室であった。素晴しい調度品の中に平然といるブウサギに驚いたが、ペットだと言われるとなるほど清潔感は保たれていた。
 そして何故か三人でお茶を飲んでいた。

「どうしましたルーク殿?」

 ルークの悲鳴のような声にようやくフリングスが助け舟を出してくれた。

「あの、話、するんじゃなかったんですか?」

 フリングスはカップをソーサーに戻すと優雅な手つきでクッキーを折って、頬張った。
 そして、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。
「美味しいですよ、ルーク殿」

 にこっと笑ってくれる。助け舟ではなかったらしい。

「そんなに慌てなくとも大丈夫です。ここでは何にも怯えなくともよいですから」
「そーそー。まずは落ち着いて小腹を満たすのが一番だな」

 ピオニーもクラッカーにクリームチーズを塗って、あぐっと口に入れた。
 ルークは自分の皿を見た。手のつけられていないお菓子。湯気の出ている紅茶。どれもこれも懐かしいものばかりだった。あの頃は普通に食べていたはずのものなのに、どうして忘れいてたんだろうと思う。こういう席で、仕事の話はいけないと、双子の兄と一緒に学んだはずなのに。

「……頂きます」

 砂糖とミルクを入れた甘い紅茶がふんわりと口の中に広がった。
 それをニコニコと見つめる二人に「美味しいです」と告げた。
 腹が温まる感じと同様に、胸にもぽっと明かりが灯ったように光が差した。

「ルーク殿はあの塔にどの位いたんですか?」

 まるで世間話のようにそれは始まった。
 それでも大分リラックスして話せるのはお茶の席だからだろうか。

「7年位です。たまに買い物に出る事はありましたけど、ほとんど部屋にいました」
「へー何がそんなに楽しかったんだ?部屋に閉じこもりっぱなしだろ?」
「やる事だけは沢山あったんで」
「例えば?」
「空を見て鳥を探すとか、歌うたったり」
「素敵な過ごし方ですね」
「出ようとは思わなかったのか?」
「あの部屋だけで、俺は満たされてましたから」

 ニコっと笑ったルークの表情が痛々しい。
 彼はきっと素直に笑っているつもりなのだろう。歪んで、目だけが笑っていないなんて自分で自覚できているはずがない。

「でもジェイドが来てくれるようになってから、大分変わりました」
「ふん?」
「面白い話を沢山してくれたんです。その……陛下の話とか」
「俺?」
「ふふふ、陛下は面白い方ですからね。大佐のやりそうな事です」
「ひっど!」

 肝心な事は隠したまま。
 それでも会話は紅茶の湯気のようにふわふわと、ルークの心を温かく包んだ。

「失礼します。陛下」

 コンコンというノックの音が聞こえた。
 ピオニーが返事をするとそこには短髪だが綺麗な金髪で碧眼を持つ男が立っていた。

「あぁ、それが噂のルーク『姫』ですか」

 人懐っこい笑顔を浮かべた顔はルークが見た覚えのある顔だった。
 ただ、約束で、もう名前を呼ぶ事も、話をするのも禁止された人だったが。




3話目へ







戻る