写ブログで書いたミニSS新婚シリーズ。
時間軸がバラバラです。
雨が降りそうだなと思っていたが、まさか本当に降りだすとは思っていなかった。
出かける時に、雨が降っていなければ傘を持ち歩く習慣の無いルークは読めていた展開ゆえに立ち止まった。
「しまったな」
言ったのは口先だけで、実際心の中ではちっともそう思ってはいないのだが。
問題は意外とある降水量の中、どうやってここから自宅に帰るかだ。
ピオニーに呼び出されて仕事に来た宮殿。自宅まで歩くと10分位かかる。しかし、あくまで宮殿の正門から10分であって現在いる宮殿の正面玄関から10分の距離ではない。
普段の職場であるキムラスカ大使館に行けば置き傘があるが、それも矢張り正門を抜けて15分の距離にある。余計に遠い。
ルークはため息をついた。
濡れるか。
そう決心して、一歩踏み出そうとする。
「雨の中、濡れて帰るつもりですか」
背後から呆れた声が聞こえた。
ぎくりと振り返ると、誰が濡れた衣服を洗濯すると思ってるんです、と嫌味を含んだジェイドが折りたたみの傘を持って立っていた。
「あ。また靴下落ちてる」
何故だか分からないが、廊下に必ず靴下が落ちている事件が起こる。洗濯物を移動する時に落としたのなら、すぐに気付くはずだが、何故かいつも巧妙な場所から見つかる。
「っかしーなぁ」
拾い上げれば、それはジェイドのもの。
いつも必ずジェイドの靴下だった。
まさか歩きながら脱いでいるわけでもないし、基本はタイツである。
休みの日や軍服を着なくて良い日だけに靴下を穿くから、ジェイドの靴下の数はルークよりも少ない。
どうしたんだろうと思いつつ、濡れているわけでもないが、まさか使い古しでも困ると洗濯機へと靴下を運ぶ。
今日、帰ってきたら聞いてみよう。
そう思って、ダイニングの壁かかった今日の予定表なるホワイトボードの文字を確認した。午後より市街にてキムラスカ要人と視察と書かれたルークの予定に、仕事道具の入った鞄を持ち上げる。
デスクワークと一言かかれたジェイドの予定。何もなければ定時に帰宅という事だ。
もしかしたら自分の方が遅いかもしれない。
ぼんやりと考えながらルークは玄関の扉へと向かった。
肩の凝る気遣いの連続をしつつされつつ、ルークがようやく帰宅する頃には時計の両方の針が天井に近付いた頃だ。
疲れた、明日も同じように接待があるんだと思うと憂鬱である。公式な場所も公務もあまり好きでは無い。
「ジェイド、風呂沸かしてくれてっかなぁ」
ダイニングの灯りは付いているからジェイドは既に帰宅しているのだろう。
淡い期待を抱いて、玄関の鍵を開ける。
ガチャリと重たい音を立てて開くと……。
「わっぷ!」
いきなり正面から何か衝突してきた。一瞬、ジェイドか?と思ったが、それなら身体全体にずっしりとくるはずだ。何故か衝突された場所は腹であり、暗い玄関の中、腹にぶつかった何かはタッタッタッと軽快な足音を立てて遠ざかっていく。
何だ?ととりあえず玄関の明かりを付けるとまた靴下が落ちていた。
「こら!行儀よくしていないとルークに怒られますよ!」
ダイニング方面から何かを叱るジェイドの声。
まさか大きな独り言でもあるまいし……ルークは靴を脱ぐと落ちていたジェイドの靴下を拾い上げ、ジェイドの声の方へ向かった。
何やら激しい独り言の聞こえるダイニングの近くまで足音も息も殺して近寄ると、それは駄目だと言ったでしょう、とか、悪い子は家にはいりませんからね、とか聞こえてくる。
まさかと嫌な汗が流れた。
隠し子なのではないか、と。
ジェイドだって良い大人である。
自分と知り合って、恋仲になって……でもそれ以前の事は何も知らない。過去には親密な仲の女性だっていたかもしれない。
自分がジェイドにあげられないもの。
いつか来るんじゃないかと覚悟していた。
「……」
ルークは遅いですねぇ。何かに話しかけるジェイドの声が聞こえた。
今、この扉を開けるのが酷く怖かった。幸せな日常が大きく崩れるような予感がする。
握り締めたジェイドの靴下が切ない。
しかし、いつまでもこうして扉の前で立ち尽くす訳にはいかないのだ。
ルークはごくりと唾を飲んだ。
覚悟を決めて、扉のノブに手をかけ、殊更明るい笑顔を作った。
「たっだいまー!遅くなった、ジェイド!」
「!」
何も怖くなんてない。自分は自分の役割をこなせばいいのだ。ジェイドの気持ちが離れたからと言って仕事が無くなる事もないのだし。頭の中でグルグル回る思考が止まらずに暴走状態で、ルークは思いきりドアを開いた。
するとソファに何故か寝そべっていたジェイドが慌てた様子で起き上がる。
まさか、隠し子ではなく浮気現場を抑えてしまったのかもしれない。ルークは咄嗟にジェイドから目を反らした。
「ジェイド、これ、落ちてた」
ジェイドを見ないようにして、ルークはジェイドの靴下を差し出した。
「え、えぇ。有難うございます」
気まずいのはルークだけでは無かったらしい。ジェイドも珍しく緊張した様子で、有難うございますと続けた。
「お邪魔、みたいだったな。俺、風呂入ってくるよ」
とにかくこの場にいたくない。ルークはきびすを返そうと振り向くと……。
「わん!」
ドスッ!という効果音が聞こえるかのような衝撃が背中に走った。
「こら!止めなさい!」
これまた珍しいジェイドの怒鳴り声はルークに向けられたものではなく。
何やら小さいものにタックルされたと思い、視線だけで衝撃の原因を探ると……そこにはまだ成犬とは言えない大きさの犬がいた。
どうなってんだ?
どうしましょう。
それが互いの心境である。
まさかの犬の出現にルークが唖然とした。そしてジェイドはしまったという顔をしている。
「いぬ……か?」
あんあん!尻尾を振りながら舌を出してルークの足に前足を伸ばしてくる人懐っこい犬を抱き上げたルークは、改めてマジマジと犬を見た。
オスだ。しかもまだ乳房が付いているから赤ん坊である。極小犬に分類されるソレはルークのヒジの長さよりも小さい。
「うち、ペットなんて飼ってなかったよな?」
ルークの腕の中で寛ぎ始めた犬を撫でてやりながら、気まずそうに眼鏡の位置を直しているジェイドに、ルークは尋ねた。
黙って頷くジェイド。
その彼が寝転がっていたソファの上には緑色の小さなボールとドッグガムがある。
「……もしかして、最近、靴下が落ちてるのて、こいつ?」
腕の中の温もりをジェイドに手渡した。子犬は大人しくジェイドの腕に収まると自分の口の周りや鼻をペロペロと舐めて、ジェイドの肩によじ登ろうとする。
ジェイドはそれを手で支えながらルークの問いに答えた。
「えぇ。どうやら私の靴下が気に入ったようでして、あちこちに隠すんです」
子犬がジェイドの肩に登りきると、今度は背中に落ちそうになった。
それをジェイドが尻尾を引っ張ってなんとか阻止する。
「その、黙っていて、済みませんでした。軍部の中庭で泣いていたので放っておけなくて」
ジェイドに捕まれた尻尾を振りながら子犬は喋るジェイドの頬やら口やら鼻やら、とにかく服に隠れていない場所を盛んに舐め始める。
邪魔だとジェイドが子犬を再び腕の中に戻すと、今度はジェイドの指を甘噛みして遊びだす。
「その、いつか許可は頂こうとは思っていたんですよ!?ただタイミングが掴めなくてですね」
ジェイドの腕の中で子犬が仰向けにされ、宙吊りにされ、挙句にひっくり返された。
「……ちゃんとお世話しますから、飼っても良いですか?」
数日後、無事に里親の決まった子犬はカーティス家を出た。
気に入ったものを……と子犬が噛んで穴だらけにしたジェイドの靴下を付けてやり、キョトンとしている子犬と名残惜しく離れないジェイドをどうにか別れさせたルークが、里親に引き渡した。
ルークもジェイドも仕事で多忙である。同じ屋根の下に住んでいようとも、会わない日々が続いたり、互いに数日も家を空ける事が多い。生き物の世話など、満足に出来る保証が無かった。
「最初は隠し子かと思った」
正直にルークが話すと、ジェイドは真っ青になり、いかに自分がルークを愛し、他の人間がごぼうに見えるかだの欲求を感じないだの言い、更に一晩中、ほぼ貫徹をして愛を確認させられた。
犬、飼いたいか?と聞くと、ジェイドは笑いながら大きな子どもがいますから必要ありません、と笑ったのだ。