写ブログで書いたミニSS新婚シリーズ。
時間軸がバラバラです。
事の始めを思い出そうとすると、一人の酔っ払いしか頭に浮かばない。
いつもは冷静沈着で、嫌味に長けて、それでも面倒見が良い男が狂ったように雪国特産だという度数の高い酒を飲み、まだそこにいて下さいと冷却装置仕込みの口で言う。
何だろう、どうしたのかと首を捻りつつ、彼のおごりだというジンジャエールを飲む。
それは恐ろしく苦く、そして喉から下に熱い痺れを伴って胃に流れる。中毒性のように何度もチビチビと口に運ぶと彼は眼鏡を外して笑う。
お好きなんですね、なんて言う彼は矢張り、酔っ払いだ。いかに今、この場所に居づらいのか考えていないのだろう。
小さな卓の下で長い足を組み、整った顔立ちでそのグラスを傾ける姿と、恐らくどう見ても20歳には満たない自分の外見が同じテーブルにいるだけで注目を浴びているのに、挙句の果てに時間は深夜だ。
いつもなら子どもは寝る時間だと言う彼が、今日は何故か若干緊張した面持ちで酒を飲む。
それも不可解な出来事だ。
何かツマミを頼みますか?マカダミアナッツは空になって久しい。
無言でジンジャエールの片手にパクパクやっていたからか消費は激しい。
いや、いいよ。それより、なんだ話って。
早く宿に帰りたい一心で聞いた。
それなのに相手は不適に笑うばかり。
もう一杯、いかがですか?
そう店員を呼ぼうと挙げた手を下げさせた。お前、飲みすぎだよ。言うと彼はグラスとボトルを見比べた。さして平気そうな顔をしているが、握った手の平の熱さにビックリしてしまう。熱い。
確かに少し飲みましたね。量はどうでもないと言う。
お前おかしいよ、どうしたんだよ、何が言いたいんだ?宿で休んでいた所をいきなり呼び出して、酒場かと思うとあらかじめ注文されたものが出てきて、ビックリした。
それなのに男は何も言わずに酒を飲む。
あなたに、言いたい事があるんですが、なかなか勇気が出ないものでして……外に出ましょうか。風に当たりたいです。
勘定を済ませ、こちらの不満顔を気にした様子もなく、何故か手を繋がれた。
今まで無かった事だ。
だから、力なく握り返せない手を、彼はギュッと離れないようにしっかりと握り締めた。
月明かりの下で彼は笑いながら、あぁやっぱり外はいいですね。と言った。どうしたのか笑顔だ。
外したままの眼鏡は胸ポケットに入っていて、素顔の彼が笑うなど珍しい事態に面食らってしまった。
しばらくそのまま二人きりで歩いた。
夜の街は恐ろしく静かで、遠く聞こえる音は風の会話のようだ。
街の中の静かな公園にたどり着く。
そして、突然。
「好きです」
引かれた手をそのままに引き寄せられて抱き締められた。
愛用だという香水と酒と若干の男の体臭の混じった香りに包まれる。
「禁忌だと言われようと、非常識だと思われようと、私はあなたを愛しています、ルーク」
静かに耳元で呟かれた言葉がルークの中に入り込む。
「な、に、を」
「拒否して下さって、軽蔑して下さって構いません。今だけ、この一時だけは私の側にいて下さい」
抱き締められる腕の力が強い。
何を言い返したら良いのか分からない。
それでも、その手を振りほどけないままルークはされるがままに腕を垂らした。
言葉なく連れてこられた彼個人の運で引き当てた宿の個室で、狭いシングルベットの中、ルークは壁を向いて、ジェイドはそのルークの背から抱き着いて眠っていた。
ジェイドの足がルークの足に絡み付いて、ルークの手はジェイドの手に取られ、身動きが取れない。
それなのに背中に感じる温かな体温と寝息に安堵を覚えているのだから分からない。
こいつも人並みに眠るんだなと思うと、いかに今まで自分がジェイドを超人扱いしていたのだろうと思う。
自分を好きだと言った。
理由なんて分からない。しかし、彼の始めてみる幼い少年のような寂しそうな視線が自分の中に入ってきた瞬間に、言い知れぬ憧憬が広がったのも事実。
何を、そう思うのか。
アッシュの代わりにファブレ家におかれ、ちやほやされた影にアッシュも知らない使用人達の物言う瞳。父親。知らない世界。
自分が一人ぼっちになる、瞬間。
どうしようと思う。
この背中の温もりを。
確かに感じてしまった、同じ感情を。
いつの間にか、うとうと眠っていたらしい。
心地よい眠りの後にごく自然に目をさますように、眠気は残らずに当たり前に目を開いた。
「……!」
「お早うございます」
背中を抱いていた男が真正面に寝転んでいた。
びっくりして何も言えずにいると、、男は笑った。
「昨日は済みませんでした。いきなり連れ込んだりしまして」
言いながらバサッと掛け布団を捲り上げ、ベッドから降りる。ルークが目覚めるのを待っていたようだ。
そしてさらに一言。
「忘れて下さい」
温かい空気が冷たいものに変わり、伝えあっていた体温が消えた。
「な、に?」
「今さっきまで一緒のベッドで眠った事も夕べの事も全て夢だと思って下さい」
俯き加減でサイドテーブルに置いてあった眼鏡をかけて表情を隠すジェイド。
それを見るルーク。
部屋の中の音という音は全て消え、二人の視線も交わらない。ルークは吐息に言葉を乗せられず喉の奥からよく分からない空気の流れだけを感じる。
「さぁ、朝御飯ですよ」
カチャリ。
眼鏡のブリッジを上げる音が合図だったかのようにジェイドが顔を上げた。
眼鏡の奥の瞳は……いつも通りの真紅。冷たい瞳。まるで死者の国を見ているかのような絶対的な温度。それは、諦め。
見た瞬間に寂しいなと、思ってしまった。
「嘘なのか、全部嘘だったのか、ジェイド?」
「えぇ嘘です。だから忘れなさい」
「嫌だ」
「ルーク」
きびすを返そうとしていたジェイドが足を止めてルークを見つめる。
「なら、なんでそんな悲しい顔してんだ」
取り残されていたベッドから降りて、ルークは裸足のままジェイドの側へと寄った。
ややのけ反るようにして逃げるジェイドの袖を掴み、距離を縮める。
「悲しい顔など……」
「してる。ほら、わかんね?赤い目が震えてんぞ」
ルークの寝起きの温かい手の平がジェイドの頬を包む。
「好きってのが、何を意味するのか分からないけど、俺で良かったら、一緒にいてやる」
「手を、つないでもいいですか?」
緊張した面持ちでジェイドがまるで上司への敬礼をするかのように指先を揃え、手首から指の頭にかけて見事な一直線を作り出しルークに差し出した。
手刀でもされるのかと身構えたルークはジェイドの手とジェイドの真剣な表情を何度も見比べる。
どうしたのだろう。
なんだか面白い。
「あ、あははは!」
「ルーク?」
一回り以上も違う子どもに、いくら最近『恋人』になったからといって何をそんなに緊張する事があるのか。
死霊使いなぞ、どこ吹く風。
完全に一人の少年を見ているようだ。
「あぁ、手をつなごうな……くくく」
そのギャップに笑いが止まらない。
初々しいなぁと思う。
自分も、相手も。
互いに汗かいていないかとか、冷たくないとか、何も気にせずに、いつか自然と手を絡めあう日がくるのか。
震える指先が触れあって、ぎこちなく繋がれた。
ジェイドのグローブ越しに、ルークのグローブ越しに、確かに触れた互いの手は、やはり気恥ずかしくて、それでも手離しがたい温もりがあった。