『長い記憶の彼方から』


呼ぶ声がする。
それは確かに小さく、確かに大きい。はっきりとした言霊が正面から背後から上下左右、遠近と響き渡りながら耳の奥を刺激した。
会えたのだから、もう離すなと。


深いため息を吐き出し、ルークは天井を見上げた。もう、この生活にすっかりと慣れてしまった自分に嫌気が差す。昼間から不健康極まりない。
何もまとっていない倦怠感の抜けない裸体を引きずるようにしてベッドから降りるとカーテンの閉まる窓辺へ寄って、思い切りカーテンを開いた。外は真昼である。
温かい日差しに微かに聞こえる雑踏と人の生活の音や声。それはあまりにもこの部屋には似合わない。
町並みの上空、遠くに白い真昼の月が見えた。太陽と違い光を発していないソレがやたらとまぶしく見えたのは気のせいか。
ルークは再び部屋の中に視線を戻した。
シンプルで飾り気の無い部屋。それは家主の性格を現しているようだ。
扉は3つあり、一つは部屋の外へ出る扉、一つはシャワールーム、一つは洗面所兼トイレだ。いわばここは客室である。主にルーク専用にあてがわれた客室であるが。
この屋敷の持ち主はそれなりの屋敷に住み、それなりの収入をもち、それなりの社会ステータスを持つ人間だ。ルークとて決して庶民の出ではない。どちらかというと、この屋敷の持ち主よりも社会ステータスなるものは高いが、それは自分の努力ではなく親の威光である。結果として、その親の力をもって知り合った人間とこういう関係になるとは露も思っていなかったが。
互いに恋愛感情なんてない。
なのに互いに同性だというのに身体を開き合い、深く交わるのには理由がある。

「……」

シャワールームから水の流れる音がする。今さっきまで濃厚に情を交わしていた男が先に身体を流すと言って扉の向こうに消えていったからだ。まだ午後になったばかりであるが、どうせ今日もいつもと同じ休日予定だろう。きっと気付いたら夕方で、気付いたら夜だ。
……この生活を繰り返していて良いとはルークとて思っていなかった。
むしろ早く抜け出さなくては坩堝にはまっていくだけだろう。
だが、どうしても呼び出されると素直に来てしまう自分がいた。抱きしめられて匂いをかがせてもらって、背中を撫でてもらって、安心しなかったという事は一度も無い。初めての時でさえ身体は期待に震え互いに苦しい思いはすれど辛い思いはしなかった。
悪循環だ。
シャワーの音が止まる。やがて扉が開くとバスローブを羽織った男が窓辺でぼんやりとしているルークに近寄ってくる。

「何か物珍しいものでもありました?」
「勝手だろ」
「つれない」
「知らねえよ」

背後から抱きしめられて香ってくるのは愛用のボディソープだ。男の手がルークの腰に回されて、逆の手によって顎を誘導させられて重なる唇。
ゆったりとルークの腰が撫でられ、優しく体温を分け合う唇は心地よい。

「……なんだよ、ご機嫌取り?」
「明日もまた来てくださいますか?」
「……」

答えられない。
答えたら、そこに待っている罠に自ら飛び込むようなものなのだろう。そして答えなくても飛び込んでいく自分が分かってしまう。


いくつもの世界を超えて、いくつもの時代を超えて、ようやく出会えた堕落した関係。
一瞬たりとも甘い夢を見れずに触れ合うしかなかった日々の向こう側の世界。
誰が終止符を打てるというのだ。
遠く響く魂の声。

「ジェイド」
「ルーク」

互いの瞳が互いを捉え、さらなる意識の奥底、遥か遠い世界にてようやく交われた世界。




END







戻る