『それは、とても』


「雨の音……?」

さぁぁと窓の外から聞こえるのは、滝の音では無い。

「雨は」

流れる。空からしとしと、全てを濡らす。

「雨は嫌いです」








しとしと。




しとしと
しと
 し
   と






まるで涙のようにしとしとと。
その涙で全てを潤す。








ルークは初めて見る砂浜に興奮を隠しきれないようで、裸足の足で黄金に輝く砂を高く蹴り散らして遊んでいた。

「ジェイドっすっげーよ!キラキラ光る砂だ!」
「えぇ、そうですねー」

対してジェイドは少し離れた場所にビーチパラソルを広げ、レジャーシートを敷くと、持参した本を広げて黙々と読み出したのだ。
ルークは初めこそ砂浜にはしゃいでいたが、だんだんとジェイドが相手にしない生返事に、いたずらを思い付く。

「っジェード!ほらっ」

ずさぁぁあ!
ルークは思いきりジェイドに近寄ると砂浜を蹴り上げた。
砂はキラキラと光りに輝きながらジェイドに思いきり降りかかった。ざらざらと顔といい髪といい、本の間といい、砂浜特有の細かい砂がジェイドの至る所に入り込んだ。
ほら、綺麗だろ?と自慢気に胸を反らすルークにジェイドは砂の粒を払い落としながら怒りで釣り上がりそうな眉をなんとか押さえて、告げた。

「ルーク、そんっなに砂がお好きなら、砂の中に埋めて差し上げましょうか?」
「え、や、そんなつもりじゃ……おわっ」

ジェイドの不穏な空気を感じ取ったルークは少しずつ後ろに下がるものの、軍人の瞬発力に敵うはずもなく、ルークは突然立ち上がったジェイドに炎天下の砂浜に押し倒された。
あっちぃと騒ぐルークに、肩で笑いながらジェイドはルークの上から動こうとはしない。

「ほら、あなたが綺麗だと言った砂の上ですよ〜?」
「あっちーんだっつーの!いいからどけろって!」
「い・や・で・す」

体重をかけて足を縫うように絡める。
いつものタオラーの恰好をしているルークの背中は太陽に温められた砂の上にしっかりと密着しているから、相当に熱いだろう。
しかし、軽く上着をはおっているジェイドとて日陰のパラソルから身を出して太陽の下に来たのである。はっきり言って暑い。
長期戦は、こちらとて遠慮したい。

「ルーク、私の本によくも砂をかけましたね」
「だってジェイド、全然こっち見ないし……」
「言い訳は聞きません。私は別にこのままでもいいんですよ?」
「ひ!……うぅ」
「ルーク?」
「ごめんなさい……」

早々に根性負けしルークはジェイドの近くにある真紅の瞳から逃げるように視線をずらし、そっぽを向いた。
おや残念ですと、ジェイドが身体をずらせば、ルークは急いでジェイドの下から這い出てパラソルの影へ逃げた。
なんだかその光景がおかしくて。
気付いたらジェイドは吹き出していた。
つられたように、ルークも笑いだす。
それはとても晴れた日の事で、雲一つない晴天の日の事。












うっとおしい雨が降る中で、宮殿の中庭を通った。
紫陽花が咲き乱れる中、雨は花びらから葉やらを濡らしている。
少し肌寒い湿気の中でジェイドは眉を潜めた。関節が寒さで痛い。
持っていた書類が雨の湿気にやられてインクが滲まないか心配しながら、ジェイドは足早に通り過ぎようとすると、耳にかすかな歌声が聞こえた。
聞き覚えのある声にため息が漏れる。

「またあの方は……」

私室に行こうと思っていたが、まさかここで会えるとはねぇ。皮肉に頬を釣り上げながら声のする方へ歩いて行く。
中庭の隅には小さなテラスがある。雨の日にも安心な屋根がある場所で、そういえば赤毛の子どもはその場所が好きだったなと、どうでも良い思い出が蘇った。
最終決戦の前。
くだらない衣装を皇帝から受け取った、あの日だ。あの日も雨が降っていた。
皇帝が晩餐を開くと騒ぎ、城に一泊するハメになった日にルークは皇帝に誘われてこの場所で小さな茶会に興じていたのを良く覚えている。
季節はいつだったろう。冬も近いあの日は秋の薔薇が庭を彩っていたような気がする。
いつか牡丹の花を見にくるといい、皇帝は秘密を教えるように子どもに言っていた。デートのような誘いも子どもには上手く伝わっていなくて肩を落としていた皇帝を笑った気がする。
そのテラスの眺めが気に入ったのか、子どもは出発の直前まで庭を見ていた。自分の屋敷にも庭はあるだろうに、そこを眺めていた。
理由は今となっては分からないが。

「見つけましたよ、陛下ー」

ガサリとわざと近くの葉を鳴らすと、露骨に肩を震わせギコチなく振り返るのは金髪の皇帝。
しまったと子どもじみた表情をするものの、すぐに取り繕って笑顔を見せる。

「よ!奇遇だな!お前も休憩時間か!」

テーブルの上には冷めたて湯気の出ていないティーポットにクッキーが入っていたと思われる残骸。
ただ、客が来ていたのかティーセットは皇帝を含まず3組あった。

「会議と聞いてましたが……お客様が?」
「まぁな。会議と言っておいて娘を後宮に入れたいヤツらのおべっか使いに付き合わされたってか」

まぁそんな所だと肩をすくめる皇帝。
どうやら、その茶会が終わった後も自主休憩だと居座っていたらしい。
雨の庭を眺めながらボンヤリと座っている皇帝も珍しいとジェイドは苦笑した。

「な、笑うな!」
「いえ。陛下にたそがれなんて似合わないと思いまして」
「俺だってナイーブなんだよ。手厚い癒しが必要なんだっ」
「はいはい。休憩はもう十分で?」

早く、この庭から去りたくてジェイドは皇帝に発破をかけると、何やらジッとジェイドの顔を見ていた皇帝が、そこに座れと誰も座っていない椅子を指差す。
無言で立ち上がれとジェイドは念じながら皇帝を見るが、彼はジェイドが座るまで言う事を聞くつもりは無いらしい。
しばらくお互いに沈黙が走るが、ジェイドが先に負けて、渋々と腰かけた。
ジンジンと、雨で冷えた空気が関節に染みる。
思い出と冷たさに、押し潰されそうだと思う。

「お前、この庭が嫌いか?」
「突然なんです。別に何とも思いませんが」

雨がしとしと降る。
雨の日は嫌いだ。

「だったら何、泣きそうな顔してるんだよ」










しとしと降る。








しとしと。
しと
  しと。





 と

 と

  と。










「あまり走ると転びますよ」

いつの頃だったか、たまたま立ち寄った村で秋の収穫祭をやっていた。
秋晴れの空の下、こんな何も無い村でも人が集まるんだな!ルークはそう言って宿へ荷物を置くや否や外へ飛び出した。
彼の母親が持たせたのだろう。彼は自分の財布を持ち、甘く煮付けられた木の実を買って行儀悪く食べ歩き、珍しい果実の絞り汁を冷やした飲み物を買っては飲んだ。
何故か隣を歩く事になったジェイドに分けながら、嬉しそうにするルークについついジェイドは買い食いを注意出来ず、一緒に練り歩いていた。

「あ、あれ何だろ」
「ルーク。夕飯が入らなくなりますよ」

あっちこっちとルークが指差して歩くものだから、ジェイドは一々説明をしてやるハメになった。
嬉しそうに笑う彼の笑顔に、こんな日も悪く無いかとその危なっかしい背中にやや遅れを取るように歩く。
太陽はゆっくりと傾く。
トンボが遠くを飛んでいた。
ルークが行きたいと手を引くから二人で稲穂の茂り誇る畑の小さな丘まで登った。
茜色の世界と黄金の穂の海を眺めた。
晴れた日。
それは、とても晴れた日だった。






晴れれば曇りがあり。




が降る事は分かっていた。








頭が痛いと、子どもが言った。
音素乖離も大分進んだ頃で、大事を取って宿で一泊してから出発という運びになった。

「まだ痛みます?」

まるで重病人の部屋のように、宿の部屋にはあれやこれやと薬からこの地方の特産品からテーブルの上を占領している。
何か急病になったら困るとジェイドが二人部屋を希望し、ルークを寝かしつける横で机に向かい書き物をしていたジェイドは、うめき声の止んだルークを見た。
ルークはベッドの中で丸くなりながらも、目を開けて窓の外を見ていた。

「今ん所、落ち着いた……悪いな。そんなに酷く無いのに足止めしちまって」

もう大丈夫だよと笑う声に生気を感じないのは、おそらく自分以外の全員だろう。ルーク本人は音素乖離を知らせまいと気を張っているのだろうが、日に日に悪くなっていく彼の状態は、はた目に見ても分かりやすい。
恐らく、ルーク以外の全員がルークの状態を本人よりも知っているだろう。
あえて言わないのは、髪が長かった頃からは考えもつかない今の彼の立ち振る舞いが、あまりにも健気だから。そして言葉にすると本当に彼がこの世界にとどまれる時間の少なさを実感してしまうから。

「大丈夫ですよ。レプリカ計画だって一日二日で進むものじゃありませんし、大事を怠って失敗するのも得策ではありません。丁度良い、中休みです」

ジェイドは椅子から立ち上がるとルークの眠るベッドへ移動し、ルークの視線の先を辿った。
雲が暗く立ち込め始めている。この天候ではアルビオールとはいえ速度は出せなかっただろう。
見ている内に、ポツポツと小さな雨粒が空から落ちてきた。

「降って来ましたね」
「ん」

ポツポツ。
ポツポツポツポツポツポツ。
ポツポツポツポツサァァァァァァァァ。
冷たい風が、少しだけ開いた窓から湿り気を帯びて吹き込んでくる。

「窓、閉めましょうか?」
「いや。いい。このままで」

ルークの手が毛布の下から出て、ジェイドの手首を掴んだ。
窓の外で、雨が降っていた。
















サァァァァァァァァ








 し
  と
   し
    と
















「雨は嫌いです」



「雨の音……?」

さぁぁと窓の外から聞こえるのは、滝の音では無い。

「雨は」

流れる。空からしとしと、全てを濡らす。
















雨は嫌いです















決戦の時、運が良く、晴天に恵まれた。
あの最後の瞬間は世界を焼くような眩しい赤色の太陽が沈む様をありありと見せつけられた。
世界は、太陽は人間が何をしようと回り続けると皮肉を言われるような中で、レプリカの子どもは消えた。

「生きて、帰ってくると願っています」

赤い夕焼け。
赤い世界。
それは、とても晴れた日で。
泣く事さえ。
許されない。




晴れた日の約束。
が降ると、約束が果たせないんじゃないか。
















と。
雨は、全てを洗い流す。
雨は全てを潤す。
は。

















「庭というよりも、雨が嫌いです。嫌な思い出しかない」

唇のはしを強く噛んで、ピオニーを睨んだ。
ピオニーはニヤリと笑うと「そうか」と一言、冷めた紅茶を口に運び、庭を見た。

「紫陽花が、綺麗だろ?」
「見事に咲いたとは思いますが、生憎花を愛でるようには生まれてません」
「そう言うなよ」

頭のどこかで書類が湿気でやられないように、そろそろ席を立たなければと思う自分がいた。
関節が痛い。
紅茶に湯気は無い。
茶菓子も尽きている。
メイドを呼んで後片付けをしなければいけない。

「ジェイド」
「何でしょう?」
「雨の日も、悪く無いぜ」



END







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