『父の日』
チュンチュンと鳥は鳴き、爽やかな朝日が差し込む中、ルークはベッドの中でもそりと動いた。
隣りではジェイドがすやすやと寝息をたてて眠っていた。体温がすぐ近くにあって、眠りから覚めても寂しくなくて嬉しかった。
だけれども、なんだか身体がダルい。
昨日の夜は……と考えるときりがないが、確かにダルくなるような事はした。しかしこれ程までにダルさを覚えるものでもないし、第一、昨日、今日が初めての行為でもない。
不定期かつ回数もまばらだが、全身の倦怠感の原因になるものではない。
チチチチ……枕元の目覚ましが鳴った。起床の時間だ。
いつもは寝坊率ワーストワンなのに、今朝はどうしてこんなに早起き出来たのかは謎だが、今日はどこに行くんだったか。宿でクリーニングを頼んだからフロントに衣服も取りに行かないといけない。
そう考えながらベッドの中で再度寝返りを打って、もそりと手を出して目覚ましを止めようとする。
そして、手が冷たい朝の空気に触れた瞬間。
「うっ」
悪感とも言うだろうか?
ルークは猛烈な吐き気を覚えた。考える間もなくベッドから出て、部屋についているトイレに走る。
胃の中身が、これでもかと出た。
と言っても中身なんて無いにも等しく酸っぱい胃酸が喉を焼くようにして口の先から出て行くのだが。苦しい。
「うえっかはっ…っつ」
一度来た波は止まらずに、涙が出て、苦しさに喘ぐ唇が乾く。
ようやく吐き気が収まった頃には身体中に力が入らない位だった。
荒い息をつきながら手洗い場で軽くうがいをして、口の中をすっきりさせる。
そのまま洗面所に入り顔を洗って備え付けのタオルで水気を取り、鏡で自分の顔を見た。別に普段と変わった様子もなく、吐いた後の為か多少顔色が悪いものの見るうちに頬にも赤みが戻ってくる。
なんだというのか。
「ルーク?大丈夫ですか」
不意に声をかけられて振り返ると、眠っていたはずのジェイドが少し寝惚け眼で立っていた。
「あ、お早よう。ジェイド」
顔を洗いに来たのかと体をずらして場所を作ってやると、ジェイドはルークの赤みの戻りつつある頬に手を当てた。
「体調が悪いようですが、腹でも下しましたか?」
昨晩の行為もあるせいか、心配そうなジェイドにルークは笑ってみせた。
あれだけ気持悪かったものの今ではなんともないし、むしろいつも通りだ。
「大丈夫…だと思う。起きて急に気持悪くなったけど、出したらスッキリしたし」
それでも心配なのかジェイドはルークの額に手を当てて、自分の額にも空いていた手を当てた。じっと瞳を閉じて、お互いの体温の差を感じ取っているらしい。
しかし元々がジェイドよりも体温が高いルークだ。そうそういつもと違うと感じなかったのか、次にルークの脈を診る。そしてルークに舌を出すようにと、べっと出させ(吐いた直後だから気乗りしないルークを半ばおどしつつやったのは言うまでもない)、最後に簡単にまぶたを捲る。一通りの検診をしてからジェイドはうーんと首をひねり、体調の悪い場所を聞いてくるが、もうすっきりしているルークに答えられるはずもなく、そのまま身支度をして朝食を取る事になった。
「おっはよ〜」
宿の食堂にはジェイドとルーク以外の全員が既にあつまっていたが、全員、ルークの顔を見るとビックリしていた。いつも寝坊して同室のジェイドと一緒に現れる事のないルークに「槍が降る」だの「嵐がくる」だの酷い事を浴びせる面子の一番端に見慣れない赤毛がいた。
むすっとぶっちょうづらを崩さない、眉間に皺をよせたオリジナル……アッシュだった。
「あれ?アッシュ?」
「あぁ、どうやら同じ宿だったらしくて、さっき一緒になったんだ」
ガイが説明をした。アッシュはちらりとルークを見て、露骨にジェイドを睨むと、窓の外を見てしまう。
最近気付いたのだが、アッシュはジェイドが得意ではないらしい。やれやれ何で仲良くなってくれないんだろうかと思いつつ、ジェイドと共に空いていた席に並んで座ると料理が出てきた。
香りの良い焼きたてのパン。
それが気持ちよく鼻孔をくすぐるはずだった。
また、だった。
「うっ、ちょ、ごめん……」
一気に胃が競りあがる感覚がした。このままではまた戻すと直感が伝え、ルークは口元に手を当てるとトイレに駆け出した。
「ルーク!」
ジェイドを筆頭に仲間達が心配そうに声をあげるのも無視をしトイレに駆け込んで、便器に顔を突っ込んだ。
吐き気が止まらない。
状況は朝と全く一緒。胃の中が入っていないから余計に辛かった。口の中に苦い胃酸。
「ルーク、矢張り具合が悪いんじゃないですか?」
背後から声がした。ジェイドの声。
しかしルークは答えられずに吐き気の波が収まるのを待って、荒い息をついていると優しく背中を撫でられた。
だんだんと呼吸が落ち着いて、ようやく顔が上げられる。
「なんで、だろ。気分なんて悪く、ないのに、飯の匂いをかいだ途端、急に突然吐き気がしたんだ」
「ルーク、大丈夫?」
ジェイドの後ろから水とタオルを持って、心配顔でティアが来た。
「有難う、ティア」
礼を告げて、有り難く水でうがいをしタオルで口元を拭う。
さっぱりしてしまうと、矢張り、先ほどの具合の悪さは何だろうと思ってしまうほどに、ケロリと気持ち悪さが消えている。ルーク自身、おかしいと思うが原因が分からない為に戸惑うしかない。
「取り敢えず、席に着きましょう。立てますか?」
手をさしのべてくるジェイドに掴まり、のろのろと歩くルーク。
そのルークの横顔は初めてこそ白かったものの、だんだんと普通の血の気の通ったものになるのをジェイドは複雑な気持ちで見ていた。
原因がさっぱり分からない。
本人的にもそうだが別に体調が悪そうにも見えないし、どこかがおかしい訳ではない。ただ急に吐き気をもよおして嘔吐する。
しかも、こんな短時間に2回も。もしかしたら今日の移動は無しにした方がいいのかもしれない。
そんな事を考えつつ座席に戻り、食事の香りをかいだら具合の悪くなったというルークを少し離れた場所に座らせて、ルーク以外の全員で朝食を始めた。
「ルーク、オムレツくらいなら食べられそう〜?」
アニスが心配そうにルークを気遣うが、ルークは手をヒラヒラと振るだけでアニスの方……というか食卓を見ようともしない。
「大佐、ルークは朝からあのような感じですの?」
ナタリアがジェイドに訪ねた。
「あぁ、ルークの体調が悪いんなら今日の移動も休んだ方がいいのかもしれないしな」
ガイが隣で頷いた。
みんな、ルークの体調が気になるのだろう。しかめっつらしたままのアッシュでさえ、たまにチロリとルークを見ている。
ジェイドはため息一つ、仲間のアィディアを借りようと朝からあった事を説明した。
「吐き気だけっつーのもなぁ」
ガイが不審気に洩らす。ルークがそれ以外に何かを隠しているんじゃないかとルークを見るが、やっと落ち着いたのかコップの水をちろちろと飲むルークは特に具合が悪そうには見えない。
ふにおちないガイの横で考え込んでいたティアがおもむろに口を開いた。
「あの、もしかしてルークは妊娠してるのでは無いでしょうか?」
一瞬、しんっとなった。
食卓と言うよりも、その場の面子の心が凍った。
慌ててティアが補足する。
「いえっあのっ似たような病例が当てはまるのが、それ位しかなくてっでも男性であるルークに当てはまるわけが無いんですがっ」
ルークが。
妊娠。
立ち直りが早かったのは頭の回転も早く、当事者でもないオリジナルな分身のアッシュだった。
「こんの眼鏡ぇぇぇ」
急に立ち上がったかと思うと、難しい顔をして悩んでいたジェイドに掴みかかる。
「アッシュ!落ち着きになって!」
ナタリアが慌てて立ち上がり、アッシュを止めるが、アッシュはジェイドの襟元を掴んで、これでもかと顔を近付けて怒鳴る。
「俺は認めないぞ!と言うか俺のレプリカに何しやがってんだ!」
考え込んでいたジェイドも、アッシュに視線を直すと、はぁとため息をついた。
「オリジナルであろうとなかろうと、あなたには関係ないですよ」
ただでさえ、非現実的な事を言われて混乱しているのに余計な火種は御免だとアッシュの手を振り払った。
すると、うーん。と同じく考え込んでいたルークが、ポツリともらした。
「昨日、中出しされたからかなぁ」
また、静寂が広がった。
矢張り、凍ったのは全員の心。
そして一番最初に立ち直ったのは頭の回転も早い当事者だった。
「いえ、ちゃんとかきだしましたよ?」
生々しい。
ガイが口から魂を飛ばし始める。魂はひたすらに「俺のルークが。いや、でもルークももう大人で…」と独り言を漏らしている。
「めぇがぁねぇぇぇ」
怒り爆発寸前のアッシュをナタリアが必死に止めていた。
ティアは自分が火を付けてしまったと顔を背けている中、アニスが一言。
「子どもも出来ちゃったし、ルークも大佐も婚約しちゃったらどうですかぁ?」
父になった日(完)
※笑うところです。