『恋』
「ルーク」
呼ぶ声に顔を上げた。
「なに?」
「戻ってきて下さいね」
そう言った顔は、いつも見るポーカーフェイスでは無い。
どこかを睨むような、我慢している顔。
ルークは苦笑した。
「ジェイドを一人になんてしないよ」
だから待ってて。
そう言った彼の表情は、とても綺麗ではかなかった。
かすかに震えている手を握るしか出来ない自分に、ジェイドは唇を噛んだ。
「ルーク、それ切っておいて」
いつからか、ルークの料理当番の時は必ずティアが横にいた。あれやこれやと料理のノウハウを教えてくれている。
アニスとは違い、素晴らしい味付けという訳では無いが、初心者の先生としては丁寧で根気のあるティアが丁度良かった。
「ん、あーこれは?」
「野菜は水に十分浸して、切っておいて。その間にお湯を沸かすから」
ルークの周りを走り回るティアを耳だけで追いかけて、ルークは包丁を持つ。剣とは違って、指先に緊張が走る。
深呼吸をしながら、ゆっくり慎重に使う。焦らなくていい。とにかく、食べられればいいのだ。
一人だと、作業がつまるルークの為にティアが近くにいる。
まずは慎重に、確実に。
初期よりも大分マシになってきたルークの手元を見ながらティアは湯を沸かす。変わると言ったのは本気だったのか。大分、精神年齢が下がった気がした。
よく笑うようになったし、疑問があると聞いてくるようになった。人の話も聴く。素直になったと言えばそれまでだが、今まで発散していたイライラもワガママもすっかり姿を潜めたのが怖い。いつ爆発するのやらとヒヤヒヤする。
「ルーク、生ゴミは最後に一括して片付けるから、まずは材料を全部切ってしまって」
「ん」
ぐつぐつと湯が沸いた音がする。小さな気泡が昇っては消えた。
ルークを眺めていると、不思議な気持ちになる。甘く、締め付けられる。それが恋なのか親愛なのか分からない。もしかしたら母性なのかもしれない。
分からない。
自分と彼の関係が。
「ルーク」
「ん?」
鍋の火を止めてルークを呼ぶと、ルークがこちらを見た。
光を取り戻した瞳。以前は、面白いものが何も無いと暗かった。
今の状況はルークにとって以前よりも断然に厳しい状況のはずなのに、彼の目は曇らない。
「最近、楽しそうね」
「ん?あぁ」
嬉しそうに笑うとルークは野菜と包丁を置いて、ティアと向き合う。
「色々新鮮だしな。今迄は面倒がってたけど、考えるのも楽しいし、とにかくボーッとしてらんない」
「そう」
確かに彼が質問してくる回数だって増えた。
また前はガイにベッタリだったが、今では仲間に平等に接している。まさか、あのジェイドまでルークを嫌がらずに相手するとは思わなかったが。
ちくりと、胸が痛んだ。
どうしてだろう。
「ティア?」
考え込んでから微動だにしないティアをルークは覗き込んだ。具合が悪いなら休めよ、と言いつつ。
「……」
上手く言葉が出てこないけれども、これは、多分。
「最近、よく大佐と一緒にいるのを見かけるわ」
出会った当初のタルタロスの中でもルークが髪を切った後でも、ジェイドの態度は変わらない。
けれども見てしまったのだ。
ジェイドがルークを見る瞳を。
一瞬だけだから見間違いかもしれなかった。
甘く。
優しく。
切なく。
憧憬が。
愛しさが。
「あぁ、ジェイドって物知りだろ?だから色々聞いてんだ。最近は俺の事を無視しなくなったしな」
ニッと笑うルーク。
ズキンズキンとティアの胸の痛みは消えない。
「やっばガイだと今更で聞けない事もあるしなー」
そうして、また野菜と格闘を始めたルークをティアが痛い胸を抑えて眺めていた。
真っ赤な夕方だった。
グラデーションが青から紫、そして橙へ。
命が燃えるような情景にため息を漏らした。
馬鹿だろう自分は。
夕焼けにあの子どもを重ねるなんて随分メルヘンちっくになったものだ。
何がきっかけなのか覚えていない。最初は頭に来る子どもだったし、罪の結晶を見せつけられているようで話もしたくなかった。
なのに、どうだろう。
気付くと目で追っていた。
やめておけ、相手は同性だ。しかも男だと言うのに。
部屋が同室だと、嫌に緊張した。それでも抑えきれずに、眠る彼に唇を重ねると、そこは柔らかく、温かい。
愛しさが募った。
あぁと目頭を押さえる。
こんなにも欲を感じる自分が恨めしい。相手は無垢なのだ。
「こんなんじゃ、ダメですねぇ」
ジェイドは夕焼けに背を向けた。
すると、そこにはティアが立っていた。どうやら通りすがりというわけでも無く、こちらの様子を伺っていたらしい。
「おや、どうしました?」
「大佐」
少女の、遠慮がちな声が聞こえる。
考え事をしていて気付かなかった、とは言わない。
「どうしました、あつーい視線を感じましたが」
ハッタリも慣れたものだ。
でもあの子どもには、ポーカーフェイスが保てているだろうか。
「大佐、その、ルークの事なのですが」
頬を赤らめて、しどろもどろしている彼女の幼さが羨ましい。
一瞬、考えている事が見透かされたのかと思ったが、そうでは無いらしい。
「最近、大佐とルークはよく一緒にいますね」
あぁそんな事かと思う。
思えば彼女の方が年期入りの想いだ。
「えぇ、彼が色々しつこく聞いてくるもので」
肩をすくめて、いつも通り困った顔を作る。
まさか、女の勘か。
「本当に、それだけですか?」
戸惑ったような少女の顔。
イライラした。
彼女は自分の恋心も自覚していないのだろう。だから聞けるのだ。こんな、切なくて痛い思いを。
「えぇ。それだけです」
不意に視界の隅に見知った赤髪が通った。パタパタと足音を立てて走っていったみたいだ。誰かを探しているのだろうか。
「……」
ティアは何かを考えているのか、黙って下を向いていた。
「話は終わりですか?ティア」
なんだか無性にイライラした。早く会話を打ち切って、あの子どもに会いたい。
話をしたい。
「……なら」
ティアが小さい声で、泣きそうな声で呟いた。
「ならどうして、あんな優しい顔をするんですか」
血を吐くような叫びに、不快は増した。
夕焼けが、眩しい。
ベッドがギシリと鳴った。
深夜の宿は静かだ。隣りの部屋もだし、周りの環境もだ。
今日は、うなされる事なく静かに眠る子どもの上にそっと乗って、体重はできるだけかけないようにする。
頬を触った。
柔らかい、すべらかで、気持ちよい。
「あなたは私にだけ笑っていればいいんです」
その幼い唇を指の腹でなぞった。
この唇も、この頬も、この瞳も、この髪一本でさえも。
「あなたは私のものだ」
だから、一人にしないで欲しい。
必ず、そばに。