『いつか見た』
ガタガタと辻馬車が揺れる。
なんだ。
乗り心地の悪い。
心の中で悪態をつく。
全てに絶望していた。
全てが憎い。
どうしてまた生かすんだ。
あの日、自分は確かに死んだはずなのに。
ローレライの中に溶け込んだはずだった。アッシュの亡骸を抱いて体の感覚が無くなったのを、よく覚えている。
死は冷たいものだと聞いていたが、体の感覚があやふやになり、意識が途切れる様子は眠りにつくように心地よかった。
それなのに、急に体が冷えたと思うと視界が晴れて目の前には倒したはずの自分の師がいた。
『どうしたのだルーク。そんな惚けた顔をして』
彼は甘い声で、優しい声で、体中を支配する。
どうして、また。
見知った空間、見知った部屋、見知ったガイ。思惑が絡む屋敷の中は何も知らなかった頃よりも、居辛く、退屈なものだった。
優しいガイだったが、しっかり考えると自分を監視するようにベッタリだった。
ナタリアは必死にアッシュがルークだった頃に自分を仕立てようとしていた。
そして。
師は超振動に耐えうるだけの体力を付けさせようと、自分に剣の稽古をつけていた。
気持悪くて、頭の中がグルグルして夜も眠れない。
もしかして、自分は再び同じ道を辿るのだろうか。
いやだ、あれは嫌だ。
今でさえも頭に響くような悲鳴が耳を離れない。切った相手の顔を忘れられない。
悲鳴と同時に頭痛。それはローレライの謝罪だった。済まない、もう一度だけ耐えてくれと、彼は繰り返した。ローレライは全てを知っているのか。
憎い。
ローレライが憎い。
憎いローレライを必要としている世界が憎い。
全てが敵に見えて、始めこそ違う人生を歩もうと努力したものの、それは徒労で終わった。流されるしかない。
再びティアとタタル渓谷に飛ばされた。
ムシャクシャして、また繰り返しかと思うとウンザリして。
体だけは記憶があるせいか、あの時よりも素早く動き、タタル渓谷のモンスターなど、敵ではなかったが。
ティアに再び同じような態度を取っている自分がいた。
「お前のせいだぞ!」
そう言って見た彼女の顔は、幼かった。
自分が覚えてる彼女よりも、ずっと。震える体を、彼女は拳を握りしめて、懸命に泣かないように厳しい表情を作って。
「私の責任だわ。あなたを屋敷まで送り届ける」
彼女の長い髪かバサリと音を立てて、なびいた。
彼女は覚悟を決めていた。
けれども、曇った自分の目からは、よく分からなくて。また旅が始まると思うと辛かった。
いっそ何もしない方がいいのかもしれない。
御免、な。
心の中で謝って、綺麗な靴を泥で汚れていく様を口に出して罵った。
だからあの声を聞いた時には体が跳ねた。
「そこの辻馬車」
思い出した。
これは、自分が望んだ事。
「止まりなさい」
死ぬ間際に願った、たった一つの叶わないだろう願い。
あんなに彼に会いたかったのに。
「巻き込まれますよ」
また、始まるのか。
これも。
「おら!入れ!」
一瞬、飲みかけの紅茶を吹きかけた。慌てて扉から背を向けて、ハンカチで口元をぬぐう。
あぁ、やっと会える。
長かった。
待ちに待った瞬間がやっとくる。期待に胸が高鳴った。
「なんだい、客人が来てるんだよ」
ローズ夫人の声。
そして聞き慣れた、あの声。
「いってぇ!なにすんだよ!」
振り返りたい。
すぐに抱き締めたい。
しかし彼は信じてくれるだろうか、自分が過去の記憶を持っていると。パラレルワールドのように、この先の未来を経験しているのだと。
きっと信じてはもらえない。自分でさえ納得するのに時間がかかった。
また彼を見捨てるのか、自分は。
また彼を傷つけるのか。
それも、彼を成長させる為には必要なのかもしれない。
今の彼は、あの時の彼。
自分を愛してると感情を注いでくれた彼ではない。
覚悟を決めて、振り返る。
そこには、涙を緑の目にたたえた赤毛の子どもが、かすかに分かる程度に唇を「ジェイド」と動かした。
エンゲーブの夜は静かだった。
ルークはティアが眠ったのを確認すると、以前……髪がまだ短かった頃にジェイドと二人で来た森の大木を目指した。
確か、ジンクスがあって、その大木に恋人同士が互いの名前を書き合い、誰にも見つからずに夜を迎えると、永遠の愛を約束するというものだったか。
ルークが、ジェイドを誘って短刀で刻みあったのだ。
どの木だったろうか。
まだ、今は刻んでないから何も無いだろうけども。
歩きながら、昼間見たジェイドの顔が忘れられなかった。思わず小声でジェイドの名前を読んでしまった。ティアは気付かなかったようだが、自分を取り押さえていた村の男は気付いていたようだ。何も言わなかったが。
あの時は、涙が出そうだった。いや、実際涙が溢れていた。
愛しい人がいた。
その胸に駆け込みたかった。
ローレライは確かに自分の願いを叶えていた。
形は歪んでしまったけれども、確かに彼とまた同じ時間を共にする事が出来る。
少しだけ表情が動いたのが分かったのは、多分自分だけで、かすかな動揺も伝わってきた。
多分、彼も同じ。
ジェイドも自分と同じように過去を、現在を、未来を体験したのだろうと妙な確信があった。
大木に向かう胸がドキドキと高鳴る。
期待があった。
ジェイドはそこにいる。
汚れ罪を犯す未来に向かう自分再び出会う為に。
「待っていました」
「ジェイド」
「長い時間を過ごしたんですよ」
「俺は、ジェイドや皆と別れた日からだけどな」
「私はずっと生きてましたから」
「御免な」
「えぇ」
「また、同じ結果かもしれない」
「そうですね」
「でも、もう離れたくない」
「もう離しませんよ」
「同じ結果にしたくない」
「なら、逃げましょうか」
ルークの頬に手を添えたジェイドの瞳は奥が暗い。
「まだ、間に合います」
END
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