『鳥のように』
大空をばさりと大きく鳥が羽ばたいた。
それは大きな大きな空へ、生え変わりの羽根をちらしながら優雅に大胆に、そして自由に。
それを赤毛の少年は見上げていた。憧れであり羨望であり、無理な事だと諦めた翡翠の瞳で。
「俺も軽くなったら飛べんのかな?」
その場で両手をぶんぶんと振った。けれども羽根も生えていなければ重力に支配された身では到底無理な話で。体を浮かすほどの浮力なんて生み出すものも持っていない。あの男だったら作ってくれたかもしれない。彼の元・親友(というと嫌な顔をするから本人の前では言わないけれど)は空に浮く椅子に座っている。
しかし、その彼が今ここにいるわけでもなくて、自分のどうしようもない考えにため息が漏れた。
「ルーク様? お加減が悪いのですか?」
たまたま近くを歩いていたメイドが敏感にもルークのため息を聞きつける。
以前はルークの機嫌が悪そうだったり体調が悪そうだったりしたら話しかけてくるメイドは限られていた(それだけメイドの間でも評判が悪かったのだ)が、屋敷に帰ってきてからは、どのメイドも素直に話しかけてきた。ばっさり切った長髪と一緒に憑き物でも落ちたようなルークの性格の変わりように屋敷一同の雰囲気も変わった。相変わらずなのは、父親と母親だけ。かっちりとした上下関係も良かったが、どうせならピオニーの様に上も下もある程度はくだけて良い、そう思った。
そうすると、メイド達の態度も愛想笑いではなくて本物の笑顔を見せてくれるようになって必要最低限だった会話もよくはずんだ。
屋敷に帰還して以来再び屋敷に閉じ込められたルークにメイド達は噂話などをよく運んできてくれた。
「あ、いや。大丈夫」
だけれども今どうしてため息をついていたかなんて話せない。
彼の事を考えていたから、とは到底。
「今日は日差しが強いですから、お庭に出る際にはお気をつけ下さいね」
軽く会釈してメイドは仕事に戻っていく。
中庭で空を見ていたルークはチカチカする視界の中で幻を見た。
病気になるのなら、倒れて彼が来るのなら、本当に倒れてしまえばいい。
レプリカが倒れたとなると、彼しか手がつけられないだろうから。
「ジェイド……」
あれから三週間、今、どうしてる?
「おや、珍しいですねー」
グランコクマの天然城壁と化している巨大な噴水によって、軍部の執務室には適度な風が入る。その窓から遠くに羽ばたく鳥が見えた。鳥は水の湿気を嫌う。まして海水が噴出す城壁からは水しぶきが半端では無いために窓から鳥が見えることはほとんどない。
たまたま窓の外を見ていたジェイドはその白い羽根が光に反射したのを見ると目を細めた。鳥なんて見るのは久しぶりだった。軍本部に着いてからは溜まった書類の整理と久しぶりのピオニーの相手やらで、外を見る暇もなかった。ある意味ガイがこちらに残ってくれたおかげで、随分と助かっていた。一息ついた、その矢先の珍しい光景。
新鮮な気分だった。
「旦那―頼まれたモン持ってきたぜ」
窓の外を見ているとノックの音と共に聴きなれた声が聞こえた。ホドの領主をアゴで使っている所を見られるのは流石に世間が黙っていないが、彼のポジションは難しく、今の所はピオニー専用の雑用係りになっていた。ついでに、ジェイドの使い走りも。
「ありがとうございます。助かりますよ、ガイ」
「いんや。今日は割りと暇だったんでね。気にすんな」
ガチャリと扉が開いてガイが慣れた様子で入ってくる。事務机の上にジェイドが頼んでおいた書類を乗せると、窓のわきから動かないジェイドのそばへと寄ってくる。
「窓の外でも見ていたのか?」
「えぇ、鳥が飛んでいたもので」
へーと窓の外を見回すガイ。勿論鳥はとうの昔に飛び去っているから見えるわけもない。
しかしガイは急にクスリと笑うとジェイドを見た。
「そういえばさ、あいつ。一時期は大きくなったら鳥になるって言ってたんだよ」
「ルークの事ですか?」
「そう、そう。まぁ屋敷に幽閉されていたからな。仕方無いっちゃ無いんだけどさ。空を飛んで好きな所に自由に行きたいって言ってたんだ。その音機関作れってだだこねられたっけなぁ」
懐かしそうにガイの目が細まる。
「結局形は違えど外に出られて旅が出来て。鳥とは違うけど自由になっていたわけだ。あいつが、あの旅で自由を感じられたのかは別だけどな」
「……」
「ただふと思ったんだよ。あいつは今でも鳥に憧れて、自由に憧れてんのかな?ってな」
無言で聞いていたジェイドをチラリと見て、説明を加えた。
何を考えているのか分からないジェイドの表情を見てやれやれと肩をすくめた。もしかしたら本当だったのだろうか。アニスの言っていた事は。自分の幼馴染とこの男が恋仲だという事が。
「ま、実際はあれから会ってないし、ゆっくり話も出来なかったからな。どうなってるか分からないけどさ」
そうだ、陛下に仕事頼まれていたんだと、部屋を出て行くガイ。ジェイドの顔が見た事もない優しい微笑を浮かべていたので居辛くなったのだ。
そうして。
一人残されたジェイドはふふふと肩を揺らしていた。
「鳥のように私が会いに行ければいいのですけどね」
それとも。
「あなたも鳥になって会いに来ますか?」
滝がごうごうと音をたてて流れる。
再び鳥が弧を描いて飛んだ。