『心配させないで下さい』
目を開けたら、滅多に見れない心配顔があった。
久し振りに目を開けて視界がぼやけていたけれども、やたらはっきり見える。いつもは眼鏡の奥は冷たい光りか優しい光りしかと両極端にしか熱を帯びないのに、今日の彼はとても心配して辛そうな光を帯びていた。
「ジェイド?」
布団にしまってあった手を出して、前かがみで覗き込んでいる彼の頬に手を伸ばすと、そっと取られる。
「大丈夫ですか?」
その声さえ、普段は冷静にしか物が言えない彼にしては珍しく焦っているような、安堵したような複雑そうな感じで。思わず苦笑してしまう。
「だいじょーぶだよ。何、心配してくれんの?」
少し喉がかすれてしまって、満足に声が出ないが部屋には自分と彼以外誰もいないらしく、音も無く、ちゃんと伝わったようだ。彼も困ったような笑みを浮かべていた。
「いきなり倒れられて、熱が下がらない日が一週間以上続いてみなさい。誰だって心配しますよ」
出していた手を布団の中に戻されて、逆に彼の手が自分の頬に触れる。まだ熱っぽい顔に彼のひんやりとした肌は心地が良くて、思わず頬をすり寄せた。すると額に乗せられていたタオルがズルリと落ちた。肌と同じ温度だったので全く気付かなかった。
「喉は渇きませんか?」
落ちたタオルを拾う為に頬に当てられた手が動くと名残惜しくて頭で動きを追ったら、肩を押さえ込まれて元の位置に戻される。タオルなんかよりもずっと気持ちいいのに。
「んー少し」
タオルがサイドテーブルに乗せてあった水の入った盆に沈められて充分に水の中に遊ばれて冷えた処で固く絞られる。そのまま、また額に乗せられるのかと思うとタオルは彼の手によって自分の顔の上を綺麗に拭かれる。冷えた温度とタオル生地が気持ちよかった。
一通り拭かれると、またタオルは水の中に入れられて冷やされて、今度こそ額の上に乗る。
「新しい水を貰ってきます」
タオルを冷やしていた盆と部屋の置き水が入っている容器を持つと、彼はそう言って部屋を出て行った。
なんだか甲斐甲斐しく世話を焼かれるのがくすぐったい。こんな状態は本当に久し振りで、まともに風邪をひいたのはバチカルの屋敷に来てすぐの何も分からない時以来だった。あの時はガイとメイドが立ち替わり入れ替わりで世話をしていてくれていた。もっとも、母親は病弱だからそれを理由に部屋には入って来れなかったし、父親は部屋に近寄ろうともしなかったが。
ジェイドが出て行くと、部屋が急に静かになったような気がした。
部屋の天井がやたら高く見えて、耳鳴りがキーンと頭の中で響く。額に乗せられてたタオルもほどなく額と同じ温度になって、またその存在感をなくす。頭がぼーっとしていた。
いま、この部屋に一人なんだな。
ウトウトとまぶたが閉じ始めた。
なんだろう、この感じ。浮遊感があって、でもまだ起きていたくて。まだ考え事をしていたくて……。なんだ、ろ……。
そうして、意識が重たく沈んでいった。
「失礼しますよ、ルーク」
ガチャリと扉を開けると、先ほどまで会話していた彼は再び眠っていた。口では大丈夫と言っていたが、やはり本調子では無いらしい。
持ってきた新しい水をサイドテーブルに乗せて、彼の額で温まってしまったタオルを取る。水で浸して、固く絞って、再び乗せてやる。
「ルーク、ルーク、起きなさい。飲まないと脱水症状を起こしますよ」
今までは注射や点滴でなんとか栄養補給させていたが、もし起き上がれるのなら直接飲ませた方がいい。あわよくば夕飯も取らせようかと考えていたのだが、声をかけても起きない辺り、また深く眠ってしまったらしい。
彼が真っ青な顔をして倒れた時、本当に心臓が止まるかと思った。どうして誰も気付かなかったのか、彼の体は恐ろしいほどの熱を持っていて、弱音を吐かなかったのだ。彼自身、熱の自覚症状があったのかと思えば、きっと我慢に我慢を重ねる内に慣れてしまって体の変化を自覚できずに倒れてしまったのだろうと結論付けられるのだが。
変わりたいと思う事はいい事だ。しかし自分の体調を管理できないのは、どうかと思う。それでなくとも。
「それでなくとも、私はあなたを愛しているんですから」
タオルを絞って濡れた手で彼の頬を撫でた。熱は幾分引いているし、先ほど目を覚ませたのだから峠は越したのだろう。
「心配させないで下さい」
仲間だからとか、しかし一度は見放したからとか、そんな理由はどうでも良かった。
風邪だと分かっていたのに、もう目を覚まさないかもしれないとかオーバーな事を考えてしまって買って出ていた看護役。ほとんど寝ずに看病して、やっと起きたと思ったら安心して思わず間抜けにも「大丈夫ですか?」なんて聞いてしまった。もっと気の利いた台詞一つ浮かんでこないのか、この頭は。
なんだか自分が自分で精一杯だった。
元はと言えば、彼が心臓に悪い倒れ方をしたからで。
言いたい事が山ほどある。
「ルーク、起きてください」
頬に当てていた手で、彼の柔らかい頬をぷにっとつまんでいつも通りの笑顔を作るのだった。