『雰囲気』


見詰め合った瞬間に、世界の時間全てが止まった気がした。音だって聞こえるはずなのに、自分の呼吸の音だけ嫌に大きく聞こえて相手の音さえ聞こえなかった。
まるで特殊な譜術で五感の全てを奪われた気がした。
そして二人だけの世界は当たり前の様に二人を触れさせた。
ジェイドがはっとなってルークの頬を撫でていた手を離さなかったら、どうなっていたか分からなかった。



「はぁ」

重いため息をついて目ぼしい薪を拾う。今日は野営だからなるべく沢山の薪を拾おうとメンバー全員で薪拾いを行っているのだ。

「なんだよ、ルーク。らしくないなぁため息なんて」

一緒に同じ方向に薪を探しに出てくれたガイがルークの珍しいため息に反応する。

「俺だってため息位つくってーの。いいから放っとけよ」

小枝をぱきっと割りながら腕の中に薪を収めて、キョロキョロと新しい薪を探す。それでも結構な量を拾えたので一度置きに行った方が良いのかもしれない。どうしようとガイの方を振り返れば、苦笑しながらルークを見ていたガイとしっかり目があう。

「その様子だと旦那と何かあったんだろ」

ピンポイントで当ててくる元使用人の勘の良さに閉口しながらも「るせー」となんとか反応する。何かと彼に相談していたのが災いしたのだろう。少なくともルークのジェイドに対する気持ちを知っているのはメンバーの中でガイだけだった。

「どうした、いじめられたのか? それとも告白して玉砕したのか?」
「そんなんじゃない」

無視しようと思っていても口が勝手に反応する。そう、そんなんじゃない。
もっと、もっと違う理由。

「そんなんじゃないって……どういう事だよ?」
「時間が止まったんだ」

ゆっくりとした足取りでガイが歩き出したのでルークもそれに従う。
完全に真横に並んだ時にガイが尋ねてきた。

「時間が止まったって、アワーグラスでも使われたとか?」
「違うんだ。その、始めはそうじゃなかったんだけど、目が合った瞬間に音とか消えて目が外せなくなって、動けなくなって自然に腰に手を回されて、どうしようと思ったんだけど体が動かせ無くて、あごに手当てられたから上むいたらあいつすごい笑顔でこっち見てて、ほっぺた撫でられて、つーかこのままじゃキスされんじゃないかって焦ってどうしようとか恥ずかしいとか、でも嫌じゃなくて…………ってなったんだ」
「はぁ」
「でも突然ジェイドがため息つきながら手離して、俺に背中向けて歩き出しちゃって、俺どうしたらいいか分からなくてそのまま呆然と立ってたんだけど、ジェイドの背中には追いつけないし、ミュウもいたから、そのまま二人きりの機会もなくて…」

よくも一息でそこまで言えるなぁと感心しつつも、ガイの頭の中では初夜を怖がる新妻的な発想でいっぱいである。初夜よりは怖くないが、どうやらファーストキスを相当大事にとっておいているのか、ルークの潔癖性が伺える。

「どうしよう、ガイ。嫌われたかな?」

そうルークは心配しているが、これは明らかにあっちの作戦ミスである。ルークが7歳の子供であって良くも悪くも雰囲気に弱い事は分かっている事である。ルークが他の事を考えられなく位の状態を作り出せたのに、最後の肝心の行為にもっていけなかったのはジェイドの失敗だ。そして、恐らくこうしてルークがガイに相談の形になっているのもジェイドの想定外であろう。

「いや、嫌われはしないと思うが…どうしてキスまでいかなかったんだ?」
「ミュウが後ろから声かけてきたんだ。そうしたらジェイドの手が離れた…」

俺なにかしたかな?
本人は気付いていないだろうが、ルークの表情が困惑でいっぱいである。その表情が初々しくて愛らしい。恋は人を変えるというが、ここまで変わると今までの自分との半生は何だったのだろうかという気持ちでいっぱいである。いや、ルークを変えたのは恋じゃなくてジェイドな訳だが。
そして何気に彼好みに変えられつつあるのをルークは知っているだろうか?
ルークからの相談を受けつつジェイドの痛い視線を常日頃感じているガイにとって二人は相思相愛なわけだが、互いに告白していないこの事態で毎日が修羅場である。
いい加減にくっつけよ。半ば仲人の気持ちにもなってみろ。

笑顔の奥底に本音をしまいこんで可愛い幼馴染に言う。

「それは多分、ミュウが悪いんじゃないか?それまでは良い雰囲気だったんだろ?」

今はティアと一緒に反対方向で彼の食事であるキノコと一緒に薪を探しているチーグルを想像しながら、ガイが言うと、何故か背筋に強烈な寒気を感じる。
毎日が修羅場とはよく言ったもの。ルークに相談を受けるとその度にジェイドからの嫉妬がガイの精神をすり減らすのだ。

(つーか、なんでここで旦那の殺気を感じないといけないんだ…)

しゅんとしたルークを励まして、ここは二人きりにさせないといけないらしい。背中に突き刺さる視線がそう指示している。

「でもさ」

鼻をぐすりとさせながら、ルークが目にいっぱいの涙を溜めていた。これではまるで自分がルークを泣かせたような感じではないか…!

「まぁ、本当の所は本人に聞いたほうがいいんじゃないか? なぁ旦那?」

ルークの体が露骨にびくりと反応した。そして後ろの茂みからジェイドが複雑そうな表情をして登場する。

「こういう登場シーンというのは複雑ですねぇ、ガイ」

眼鏡を押し上げながら、その鋭い眼光でガイをみつめると、ガイは肩をすくめながらルークの腕の中から薪を取ってしまう。

「なんとでも言えよ。こっちはあんたの視線で凍傷をあっちこっちに作ってんだから」

ルークがすがりつくようにガイを見ている。
しかしガイはルークを見てにっこりと笑うとそのまま薪を持って歩いて行ってしまう。
どうしよう。
ガイ、どうしたら。
自分が何か失敗したとまだ思っているルークは怖くて視線が上げられなかった。
ジェイドのため息が聞こえる。

「ルーク」

ジェイドがルークに近付いてくる足音が聞こえた。
だから一歩だけ後ろに下がった。そうすると、いつもの考え込むポーズでジェイドが止まった。そしてまたため息。今一歩下がったのが余程気に障ったのだろうか、これ以上ジェイドの機嫌を損ねたら本当に嫌われるかもしれない。

「ジェイド……その…」
「ルーク、そのまま動かないで下さいね」

謝ろうと思って口を開いたらジェイドが命令する口調と視線でもってルークを射抜いた。
ビクンと動けなくなって、そのまま立っているとジェイドが再び近寄ってきた。
そうして硬直しているルークを正面から抱きしめる。
思ったよりも温かいジェイドの体温が布越しに伝わってきて思わず「え」っと言ってしまう。

「この間は済みませんでした」

そうして思わないジェイドの謝罪に戸惑う。どうしたのいうのか失態を犯したのはルークではなかったのか。

「というよりは邪魔が入る予定ではなかったのですがね」

ぎゅっと抱き込まれたのでジェイドの顔が見えないが、自信満々な彼の言葉にじゃぁどんな予定だったのかと聞きたい位だった。

「途中までは良かったんですけどねぇ。ミュウがこちらに来るとは思いませんでしたよ」

相手の体が震えて笑っているのが振動で伝わってきた。

「来るとは思わなかったって……どうして?」

どうしても声がくぐもってしまうが、二人の距離が近いためか相手には難なく伝わったようだ。

「大人の秘密です」

茶目っ気たっぷりに言われると反論のしようがない。

「ジェイド…」
「ルーク、今日は邪魔が入りませんからね」

ガイもいなくなった事ですし。暗に言われた気がして再び先ほどと同じ恐怖感が沸いてくる。怒っているのだろうか。何をされるのだろうか?

「今日こそ、逃がしません」

そっと抱きしめられる力が抜けた時、二人以外の時間が止まっていた。



END







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