『文字書き』
邪魔だと言って長い髪をポニーテールにして、宿屋の一室の備え付けの机の上に紙とペンと書物。
室内にはガリガリとペンが走る音とたまに本をめくる音だけ。
珍しい光景だった。
いつもは机はジェイドが何か物書きをしている時にのみ使われるだけであってルークが座る場所ではなかった。
しかし何故か突然、彼は思い立ったように言ってきたのだ。
「字が上手くなりたい」
突然そんな事言われても文字なんてものは書いてナンボのものであり、ある日急に上達するものでもない。だから、紙をペンを渡して書物の一ページを開いて写させてひたすら練習させているのだが……。
彼は思った以上に集中力があるらしい。
早々に根を上げて諦めるだろうと思っていたが、一向に彼が顔を上げる気配がない。
ちょっと不思議な光景である。
「どこまで進みましたか?」
読みかけの本を閉じて、座っていたベッドから立ち上がり近付くとルークは「今、駄目」とぶっきらぼうに答えてサラサラとペンを走らせる。のってきた処だったらしい。
「あまり最初から根を詰めると良くないですよ」
後ろから覗き込むと、ミミズが腹筋しながら散歩している様な文字が細かく、広い行間を開けて連なっていた。これはミミズの行進だろうか?
しかし彼は文字を丁寧に書く事よりも文字を写しながら本を読む事に夢中らしく、一言一言口に出しながら書いている。勉強方法としては悪くない。
きっと成績もそんなに悪い方ではなかったのだろう。世間知らずと、こういう書物の勉強では頭の使う処がそもそも違う。
「……であって構成される……」
どうやらルークはジェイドの呼びかけが耳に入っておらず、熱心に書写する姿は貴重だが、普段が普段なだけに釈然としない。
と。
唐突にジェイドにいたずら心が湧いてくる。
ルークのポニーテールを持ち上げると、意外と細いうなじが見えた。
普段髪を下ろしている為に日焼けしていない、白い首筋。
クスっと笑って口付けた。
軽く噛み付くように吸えば、そこには小さな花が咲いたような赤いキスマークが出来た。
「いって!」
ルークがやっと顔を上げる。とっさにポニーテールをばさっと降ろす。
それを気に留めた様子も無く、キスマークの付いたうなじに手をあてて、ジェイドを睨む。
「人が集中してる時に変な所つまむなよな!」
どうやら彼はジェイドがうなじをつねったと思ったらしい。
色気の無い……。
思わずため息が出そうだった。
しかし特別な感情が無い限り、どうにも思い至らない事ではあろう。
第一、ジェイドだって自分の胸にあるモヤモヤ感が何なのか未だに理解出来ていないのだから。
「私が話しかけても無視するからですよ、ルーク」