『お約束』
トントントンと規則正しい包丁の音が立てられるようになったのは最近だ。それまでは包丁はおろか、ナイフさえ使い方が危うかったが、今では手に大分馴染んで切り分けられるようになった。要は、刃の方向と物体の切れやすい方向を判断して使えば刃こぼれも減るのだ。だから、料理が上達するに従って戦闘でも刃こぼれの回数は減ってきた。
「うー…玉ねぎが目にしみる…」
以前は誰かが危なっかしいルークを見かねて調理台の前に立つ時は手伝ってくれたが、今では安心しているのか火の管理はしてくれるものの、薪集めや休息やアルビオールの点検など各々の事をやっていて誰も様子見に来ない。
そして玉ねぎが目にしみる。
なんだかこの状況が恨めしかった。
「なんで……ったくよぉぉ」
しみる目をこすりつつ、残りの玉ねぎを一気に刻んでしまおうと皮の剥かれた玉ねぎを、まな板に乗せる。
トントントン……。
音的には規則正しく玉ねぎも順調に切れて行っているが、ルークの瞳には反比例の如く涙が溜まってきて視界がぼやける。そういえばガイがゴーグルを持っていたから今からでも借りようか…でも残り一個や二個の玉ねぎだけに借りるのも申し訳ないし。
包丁を使っている時に考え事は危険である。
トントントン…ブチ。
「ブチ?」
涙で視界のぼやけたルークには一瞬何が起こったのか分からなかった。
玉ねぎを切っていてブチという音は聞こえるものだろか?玉ねぎの根元は先ほど取ったはずだ。
包丁を持っていた方の手で目をこすって改めてまな板の上を見ると、そこには何故か血の小川が出来ていた。そのまま小川の源流を辿ると自分の指が見えて。人差し指がパックリと開いていた。
「えーっと?」
拍子抜けしていたもの、じわりと襲ってくる痛みと再びぼやけてきた視界に広がる赤とで混乱が襲ってくる。
「う……うわー!」
どうしようどうしよう、今夜の夕飯は俺の指入りのソテーに変更かもしれない。
ありもしない事が頭をかすめて、指は誰にも渡さないぜとばかりに無事な方の手で指先を押さえる。もげたら、ソテー行きだ。
こんな時にアッシュと連絡が取れないのが悔しい。アッシュだったら何だかんだできっと知恵を貸してくれるからきっといいアイディアをくれるに違いない。しかし、今はそれも出来なくて。
「どうしました?ルーク」
そこに聞こえてきたのはジェイドの声。助かったとばかりに振り返ると呆れ顔で彼が立っている。料理で失敗したのはばれているらしいが……。
「じぇ、ジェイド、俺、ソテーは嫌だ!」
「はい?」
混乱してるルークの台詞の意味が分からず聞き返すような返答をしたが、次の瞬間、ジェイドの顔が青ざめる。
「ティア!ティア!こちらに来てください!」
珍しく大声を出したジェイドに呆気に取られると、ジェイドがルークの手を見る。
「気ってしまったのは、どちらの手です?」
「え?あ…こっちだけど…おっ俺ソテーは嫌だからな!」
「何、アホな事言ってるんですか。いいから、手を貸しなさい」
いつの間にか血はルークの両手をべっとりと汚していて、どちらの手が切れているのか分からない状態だったが、ジェイドの剣幕に押されたルークが恐る恐る出してきた方の手は指先が開いて血がどんどんあふれてきていた。
「全く、料理中に考え事でもしていたんですか?」
手袋を外して、ルークの腕をきつく縛る。余程深く切ったのか血の量が多い。前衛の腕力とルークの不注意さが比例していて性質が悪い。
ジェイドの指摘にうっと声をつまらせるルークに盛大なため息も漏れる。料理も慣れたし大丈夫かと思ってみればこの有様で、次回からはまた誰かがルークに付きっきりになるのだろう。特に過保護な元使用人とか。
「その…玉ねぎが……」
口の中でゴモゴモ言い訳を始めるルークを無視して料理用の水で血をざっと洗い流し、清潔な布(正確には料理で使う予定だった布)で丁寧に拭う。結構傷は深い。
ティアが中々到着しないのと消毒もしていない様子が気になって、ルークに尋ねた。
「ルーク、消毒しましたか?」
「…だから目がぼやーっとして……え?消毒?」
きょとんとしている顔を見るとやってないらしい。いつもは無意識にすり傷ができたりすると自分で舐めているのに……。余程彼は混乱していたらしい。
仕方ありませんねぇ。とため息一つ。しかし少し楽しい気持ちもある。
「ジェイド?」
洗って綺麗になった指先をジェイドがぱくりとくわえた。
「じぇ、ジェイド!!何するんだよ!」
凄く、しみる。痛い。だけれども彼のいきなりの行動で痛みまで思考が働かない。どうして、何が。あって。
「消毒していないのでしょう?痛むかもしれませんが、我慢して下さい」
ジェイドの舌が丁寧にルークの傷口をなぞる。ジェイドの口の中に鉄の味が広がる。血の勢いは落ち着いたが、舌先で感じるルークの傷が大きくて口を離す気になれない。
「ジェイド、汚いから!」
指を抜こうとするルークの腕をぐっと押さえ込んで、まっすぐ見つめるとルークは黙る。そして頬を赤らめて下を向いてしまうので、遊び心がうずいてしまう。
血を舐め取るふりをして指を意図を持って舐める。ルークの肩がびくりとはねるのが面白い。
「っつ、ジェイド……」
調子に乗って別の指も舐めようとした瞬間。
「大佐!呼びましたか?」
息をきらしたティアが走ってきた。
ぶすっと座るルークの指には包帯が巻かれていて、その両隣にはティアとジェイドが座っている。やたら重たい空気が3人を支配している。
「旦那、何かあったのか?」
「ガイ、駄目だよ。あの空気は魔界の瘴気よりも有毒だよ」
危険を察知していたアニスがガイに忠告する。成る程そうかもしれない、この空気。料理中になにがあったのか知らないが、ルークが怪我をしてティアがそれを治した所までは読めるが何故そこでジェイドが関わっているのかが謎だった。
しかし触らぬ神に祟り無しとばかりに、薪をくべやすい大きさに切るのだった。
「大佐、以後は二人きりでの接触は控えていただけますか?」
「おやー私がいなかったらあそこまでスムーズに治療ははかどらなかったかと思いますよ」
「それはそれ。これはこれです」
「手厳しいですねぇ。少し遊んだだけじゃないですか」
「ルークも。自分の事は自分でできるようにならないと、また大佐に遊ばれるわよ?」
「うぅ…ごめん」
「謝る必要は無いと思いますよ。役得でしたしね」
「たーいーさー」
「ふふふ。まぁ次回があったら気をつける事ですね」
「うー……」