『相思』

「全く……やれやれだ」

気分が悪い。
思いきり背もたれに身体を預けて、控室に用意されていた、もうぬるくなったお茶を一口飲む。
酷い裁判に、酷い被告人、酷い弁護人。
真実を見つだすのが仕事の検事なのに、これでは有罪を叩き付けているようなものだ。
真実は一人で見つけるには難しすぎる。間違いだってある。
あぁとため息が出る。

「疲れた、かな」

やりきれない気持ちが身体の中で熱のようにグルグルと回る。
いつだって、全力で勝負したいのに。
いつだって相手は自分よりも……。

「やっぱり、彼とマッチングした瞬間が一番、良いギグを効かせられる」

胸ポケットから携帯電話を取り出すと、データーフォルダからピンッと一本、角のような髪が立った、幼い顔立ちの彼が映った。
以前、兄が新しい弟子だと送ってきた写真だ。
兄弟対決は出来なかったが、それを実現させるような予感まで、あと少し。
今は成歩堂の事務所でコツコツと力を付けているが、彼に弁護の基礎を教えたのは兄だ。その面影も、たまに見える。
育てる。
刺激しあう。
あぁ、なんて。

「次に会うのが楽しみだな」

自然と笑顔になった。
携帯電話を閉じてポケットに戻し、立ち上がると荷物をまとめた。
次に彼がいつ裁判所に来るのか、事務室に寄って聞いてみよう。
疲れていた身体は力を取り戻し、響也は足取り軽く、控室を後にした。






「王泥喜君はタンバリンとか出来きないの?」
「はぁ。出来ませんよ。俺、リズム感ないですし」

本日はデスクワーク。
というか過去の裁判記録を調べ、まとめ、レポート提出という個人学習なるものをしていた。
ここ、成歩堂なんでも事務所に裁判の仕事など滅多に来ず、雑用ばかりの依頼が来る為に、自主勉強はかかせない。

「仕事ですか?」
「いやね、ピアノが弾けないピアニストもおかしいから、タンバリンを叩こうと思ったんだけど」

君が無理なら無理だなぁと、かったるそうにニット帽の下に手を入れて、頭をかいた。
蒸れるなら帽子取ればいいのに、法介は成歩堂を見ながら思った。
やる気があるんだか無いんだか分からない新しい事務所の所長は本当によく分からない。
前に勤めていた牙琉弁護事務所の方がよっぽどしっかりしていた。……それを壊したのは自分と、ここにいる成歩堂だが。

「ま、いいか。困らないし」

生活に困りかけているのにアッサリと言い放つふてぶてしさため息が漏れそうだ。
伝説と言ったって、過去の栄光で現在ではない。
生きる伝説と呼ばれた敏腕検事もいたが、その彼もまた、過去の栄光を持つ犯罪人となり、それを裁いたのも目の前のニット帽子を被ったサンダルのおじさん……お兄さんだ。

「それより、まとまった?」
「えぇ。こんな感じで……」

法介が自主学習するに当たり、課題を出したのは成歩堂だった。
決して面倒見が良い方では無いが、ちゃんと教育をしてくれるのは有難い。

「あーんー。そうそう。上手くまとまってるじゃない」
「でも、ここでの検事の着眼点って……」
「ヒラヒラ検事だからねー」
「え?」
「や、こっちの話」

課題の裁判記録を選んだのも成歩堂だ。
時折、妙な独り言を漏らす。

「この場面で問題となってるのは司法の……」

あくびを噛み殺しながら喋る成歩堂と、それを聞く法介。
しかし、そのやる気の無い演説は途中で「あ」と成歩堂が止めてしまう。

「はい?」

どうしたんだろうと、成歩堂を見上げた。
彼は何かを思い出し……そして、あたかもどうでも良い事のようにパーカーのポケットに手を突っ込み天井を見た。

「今度の木曜、暇?」
「え、えぇ。今のところは予定ありませんけど」

壁にかけられた真っ白なホワイトボード。
一ヶ月の予定を書き込む、日付だけが入り曜日だけ変えればいいカレンダーの備考欄は3分割され、左から成歩堂、みぬき、王泥喜となっている。
黒いのは、みぬきの欄。
ぽつぽつと黒い文字が入るのは王泥喜。真っ白なのは成歩堂。何故か彼のスケジュールが書かれた事が無い。なんでも頭に入っているから、だそうだ。
幸い、木曜に王泥喜の予定は入っていない。

「裁判、あるから準備してて」
「はぁ、裁判ですか……ささささささ裁判!?」

ガタンっと思わず立ち上がってしまう。
不精ヒゲを撫でながら、自主学習のレポートをちょいちょいと指差す。

「事件はこれに似てるタイプのやつだし、君なら大丈夫だよ」
「でも!」
「依頼人は今日の夕方に来るからさー」
「いつの間に引き受けたんですか?」
「知り合い伝にね。今朝ちょっと」

時々、成歩堂の人脈には驚かされるが、同時に肝も冷えるのは久し振りだ。

「あの、検事は……?」
「さぁ。誰だっていいじゃない。検事で真実は変わらないよ」

それは確かだけど。
だけど、どうしてだろう。
熱い裁判が忘れられない。
あの、検事なら、なんだかんだと自分に力を貸してくれるに違いないと、思ってしまった。

「宜しくね、王泥喜君」
「は、はい……」

これは、二人が恋人になる前の、ちょっとした違和感。
ちょっとした出来事。
互いに恋心を抱くまで、もう少しの時だった。

END