『雪の道』
生まれてこの方、何回か彼女というものがいて、クリスマスのムードある街中を歩いたのは何年も前の事だ。
司法試験やら何やらで彼女も何もご無沙汰で、今に至っては赤貧事務所の金銭管理を確認する度に頭が痛くなる。とてもデートとか考えられなかった。
が。
携帯に入った一通のメール。
法介の心が一瞬だけ痛い位にはねた。
「おデコくん、クリスマス暇?」
相手は最近、晴れて両想いを達成した人気バンドを副業な敏腕検事。
両想いになったと言えば聞こえは良いが、熱いモーションをかけてきて、それに折れてしまった。と言えばそれまでだ。
丁度、彼女もいなかったし、独り寝も寂しい季節になってきて、友人に一度は男同士も経験しとくと良いよ、と助言されたのもあって付き合おうと思っただけで、実際の恋人とかそういう概念は大分薄かった。
だからデートは兎も角、クリスマスなんて存在も忘れていた。
「……」
少し考えてから、予定は無いと入力してメールを返した。
すると、何故かすぐに着信が入った。
「おデコくん!そのままクリスマスとクリスマスの翌日は空けておいて!」
「…そんな用事でわざわざ掛けてきたんですか」
「え、や。その。うん」
「大丈夫です。事務所も閉めてますし、二日間は完全に朝からお休みですから」
「そっか。良かった!じゃ、また連絡するから」
出だしがいきなりで、切るのもいきなりな検事は、じゃね!と軽く言うと通話を切ってしまう。
どうしてあんなに浮かれられるのか分からない。クリスマスに会って何がしたいというのか。
とりあえず、自分の手帳に用件だった二日間をマークし、パタンと閉じる。すると、同時に事務所の扉が開いて、見知らぬ人間が挨拶してきた。
こんな時間に客がくるのも珍しいなと対応すると……クリスマスの次の日に裁判のある、弁護の依頼だった。
『クリスマスと次の日に仕事が入りました。済みません。王泥喜』
響也の頭に巨大なハンマーで殴られた衝撃が襲った。
仕事なら仕方ないのかもしれないが、先に約束したのは自分であって法介はその約束を破るはずが無いと、よく分からない自信があった分、余計にショックが大きい。
法介にとっての響也は仕事よりも低いのか。
無情な法介からのメールを受信した携帯で、響也はカタカタと指を動かし返信した。
『仕事なら仕方ないよね。じゃぁいつでもいいから年内に会おうよ。あ、除夜の鐘は一緒に聞くんだからねっ仕事入れないでよ!』
転んでもタタじゃ起き上がりたくない。
勝手に大晦日の予定を告知しておいて自分の目の前を見た。
後期が始まってからの事件ファイルや未提出だった書類の山がこんもりと詰まれていた。
クリスマスデートだけが楽しみだったのに。
一週間ばかり伸びた恋人との甘い時間を悔しく感じながら響也は、にじむ涙をこらえながら仕事に向かった。
やっぱり無理にでも、仕事断った方が良かったかな。
そう思いつつも法介の心は浮かれていた。
時間の無い裁判で、新人の自分だが、何とか無罪判決を取れた。裁判長とも「良いお年を」と分かれた後、鉛色の空からは白い雪が舞い散っていた。
ホワイトクリスマスにはならなかったものの、何だか感動してしまって、法介は手のひらに雪を積もらせては握り締めた。
冷たい、雪の感触。
「……へへ」
なんだか嬉しくて事務所に帰る足取りが軽かった。
無罪を取れたし、雪も降ってるし、少しばから鼻の頭が寒いけれども少年の頃の様に心が踊る。
そうだ、と不意に良い考えが思い浮かんで懐の携帯電話を取り出した。
ある番号を押すと、数コール後に出たのは事務所の上司。
「あ、裁判終わったの?お疲れ様」
「お疲れ様ですっ!あの今日は雪も降って来ちゃったので、真っ直ぐ帰ってもいいですか?俺、やりたい事できたんで」
「えぇ〜雪が降ってきたから、みぬきが王泥喜君と雪ダルマ作るって張り切ってたのになぁ」
「みぬきちゃんには謝っておきます。ダメですか?」
「まぁ書類なら後日でもいいし、クリスマス無かったもんね。いいよ。明日も休んで。大掃除だけやってくれればいいから」
「有難うございますっ」
「んー。検事に宜しくね」
ぶちっと何故か成歩堂の方から電話を切られた。
忙しかったのかなと思いつつ、法介は携帯をしまい、足を検事局に向けた。
この気持ちを一緒に分かって欲しい。
「あーもーダメぇぇほーすけ切れたぁぁぁ」
「情けない事言わないで下さい!ホラ!そこ!片付けないと帰れませんよ!」
キビキビと茜が動く中、ダルダルと響也が机の上に突っ伏していた。
あれから連絡も取ってない。
あわよくば、法介が担当する事件を扱おうと思ったら別件の仕事が入って無理だった。
珍しく追い込まれるように仕事をして、拗ねてみれば、外は雪が降っていて最悪だった。
これじゃバイクは置いて帰るしかない。
挙句にこの刑事。
人が何かを指示すれば必ず文句を言う。
響也のため息は止まらない。
「あーホースケに会いたい」
「私だって早く帰りたいですよ。あーもー邪魔です!早く、そこの邪魔なCDをラックに戻して下さい!」
何か言えば茜のかなきり声。
どちらかと法介の低いようで少し高めの声が聞きたい。
正直、やってられない。
クリスマスを振られ、正月まで後数日。何を糧に生きていけばいいのか。白い雪よ、降るがいい。全てを真っ白にして僕さえも消してくれ……。
「声に出てますよ、検事」
「それは失礼」
いかにもやる気のない響也に茜の堪忍袋が切れかかった時。
コンコンと控えめなノックが聞こえた。
茜が響也を見ると響也は机に突っ伏したままヒラヒラと手を振っている。
どうやら適当にあしらっとけという事らしい。
面倒だと思いつつ仕事だと言い聞かせて茜が部屋の扉を開けると……二本、触覚が生えていた。
「あら、あんた成歩堂さん所の…」
「茜さんっあの、検事いますか?」
「おっでっこっくぅーん!」
「仕事しろ、ドリル」
待ち焦がれた法介の声にいち早く対応しようとした響也の顔に茜の持っていた雑巾がクリティカルヒットした。
それを見た法介がキョトンとした後に「仕事中に済みません!」と部屋を出て行こうとするのを慌てて響也が引き留めた。
「いいから。ちょっと待ってて、すぐに掃除終わるし」
「本当にすぐに終わらせて下さいよ。私にも用事が」
「はいはい。了解了解」
法介としては、特に切迫詰まった用事で来たわけではないのに二人が急いで仕事を片付けようとしているのが申し訳なく。
一回事務所に帰っても良かったなぁと窓の外を見た。
本当にウキウキしていたから、無罪判決と雪が嬉しかったから突拍子も無く来てしまったが迷惑だったのかも。
法介が勧められて座っていた椅子から立ち上がると、響也がめざとく見つける。
「おデコくん、もーちょっと待ってて!」
「…でも忙しいようなので、また来ます」
「あー気にしないの。こいつ、あんたがいればそれだけで良い人だから。掃除終わるまで、ちょっと待ってて!」
茜は丁度湯気を上げ始めたポットの温度を確かめてコーヒーを入れると法介に渡した。
「鼻の頭赤くして、急いでどうしたの?」
えっと顔を上げると茜がコーヒーカップを握らされ、再び椅子に座らされた。
「協力して頂戴。仕事終わるまで、あんたの席はそこ。ね?」
「おデコくんの鼻の頭赤いの!?大丈じょ」
「あんたはさっさと掃除する!」
茜の怒鳴り声が響也の執務室に響いた。
1時間もしない内に大掃除という名前の仕事が終わって、茜が帰った頃、雪は積もっていて、空は暗くなっていた。
法介のコーヒーカップは空になっていて、法介は洗って元の場所に戻した。
「待たせたね、法介」
「茜さんのキビキビした姿、初めて見ましたよ」
「彼女はセッカチだからいけないよね」
はぁとため息をついた響也が荷物をまとめて、コートをはおる。
「オフィス。閉めるから忘れ物無いようにね」
法介は元々持っていたカバンを確かめると、コートをはおり、部屋の出口で響也を待った。響也は部屋の戸締まりを確認すると暖房を切って照明を落とす。
また来年〜と軽いノリで鍵をかけて法介を誘って検事局のエントランスを出た。
雪が、しんしんと降っていた。
寒くない?と聞いてくる響也に、大丈夫ですと笑いかけると積もった雪をサクサクと踏みながら歩いていく。
そうして少し歩いて、はっと気付く。
「検事、乗り物は?」
「今日はバイクで来たんだけど、この天候じゃちょっとね」
「なんで車じゃないんですか」
「今日はそういう気分だったから仕方ないじゃない」
法介来るって分かってたら絶対車で来てた。そう付け足した響也の顔は心なしか拗ねているようで。
なんだか。
「検事、俺、あんまり季節行事って気にしないんですけどね」
「ん?」
「来年のクリスマスは空けておきますから」
え?と分からない顔をする響也の頭に積もった雪を払い落とすと、法介は、こっちの話ですとニカッと笑い、響也の横を歩いた。
END