『お菓子』

いつも通りの朝。
いつも通りの部屋。
いつもの時間に起きて、いつもの発声練習をして、朝食を取り、部屋の掃除をする。
今日も何も変わらない、いつも通りの一日だ。
今日は依頼がくるといいなと思いつつ、法介は部屋の鍵をかけて勤務場所である成歩堂なんでも事務所に歩き出した。
いつも通りの歩き方で、いつも通りのおばさんに挨拶をする。
平和っていいよなぁと信号を待っている時、事件は起きた。
目の前には、見ただけで分かる高級感溢れる外車が止まった。
信号で止まっているのではない。
明らかに自分目的に路傍駐車よろしくの停車だ。
その迷惑な車の反射ミラーのついた窓が開いた。

「やほ、おデコくん」

出た。
迷惑検事。

「これから出勤?よければ乗っていかない?」

いつも通りの朝は終わりを告げて、朝から彼のストーカーに出会うとは思っていなかった。
そう、彼からのメールの量、着信回数、事務所の来訪数は敏腕検事兼ミュージシャンとは思えぬ程なのだ。
しかも毎回、手土産は忘れない、細かい男。
今日は朝から来たか、とため息をつき、ここは信号待ちの歩道という事もあり法介は信号の先を指差した。

「迷惑になるんで、あっちで待ってて下さい」
「了解したよ、おデコくん」

颯爽と車を出す響也は今日も相変わらず自分には甘いなぁと思う。
しかしここで誘いを断れば、きっと事務所まで自分の歩幅に合わせて車で追いかけてくるに違いない。
過去に意地でも車に乗らずに誘いを断った結果、響也の車の後ろには長蛇の車の列とクラクションの音が五月蝿く鳴り響いて事がある。
あれは二度と御免だった。
信号が青になり、気乗りしないものの律義に交通違反しないギリギリの場所で助手席のドアを開けている車に向かう。
多少小走りで行くのは他の人に見られない為。
万が一、響也のファンに見つかっては殺されかねない。
駆け寄り、素早く乗り込むとドアをバタンっと閉じる。車の中は珍しくクラシックがかかっていた。

「改めてお早う、おデコくん」

サングラスを外しながら響也が法介に甘い笑みを浮かべた。

「お早うございます。検事」
「じゃ、出すね」

ニュートラルからドライブにギアを入れ替えて、響也は車を出した。意外にも彼の運転は安全運転で、乗り物に強くない法介でも安心して乗れた。
シートベルトを締めて、クラシックと一緒に鼻歌でメロディを歌っている響也をチラリと見てから、何気なく後部座席に目を向けた。
何故か、そこには大量のお菓子の姿。
しかも細長く、チョコがかかっているようなものから、何も付いてないスタンダードタイプ。これは、俗に言う。

「検事はポッキーとか好きなんですか?」

体を伸ばして一箱手に取る。
ちょっと値段がはるデコレーションポッキー。実は食べてみたいと思っていたやつだ。

「好きじゃないけど、嫌いでもない感じかなー。あ、よければ好きなの食べていいよ」

視線は前を向きつつ、響也が口のはしを上げて微笑む。
じゃぁ、これ頂きますね、とデコレーションポッキーの箱を開けて中の包装からポッキーを一本取り出した。
なかなか豪華な感じだ。しかも結構太い。
サクッと軽い音がして、法介の口の中に甘い香りが広がる。噂通り美味しかった。だから普通のより高いんだなー本数入ってないけど。
心の中でボヤキつつ、一本食べてしまう。

「どお?美味しい?」

赤信号で丁度止まったらしく、響也がこちらを見ていた。
法介は一本取り出すと、それを響也の口に差してやる。

「こりぇ、でひょれーと?」
「食べ終わってから発言して下さい」

モグモグと口を動かしながら喋ろうとする響也に注意して自分はもう一本、口に入れた。
サクサクという軽い咀嚼の音と、再び車を発車させるエンジンの音。

「っん。美味しかった」

くわえていたデコレーションポッキーをさっさと食べた響也が運転傍らに法介を見ると、無心になってポッキーを食べている法介が見れた。これはかなり可愛い。
とある目的の為に色々な種類を買い込んだのだが、無駄ではなかったらしい。
響也はそっと車のドアの鍵をロックにする。逃げられては仕方ない。ここは強くいく所だ。

「あ、事務所着きましたね」

元々、そんなに自宅から距離が離れていない場所に事務所がある為に、信号で捕まったとしても車ですぐなのだ。
法介が、シートベルトを外し、ポッキーの箱を閉めて、お礼を言いつつドアを開けようとすると、何故かドアは開かない。
疑問に思ってロックを見ると、しっかり鍵がかかっていた。

「検事?」
「まだ、ポッキー食べ終わってないでしょ?」

響也もエンジンを止めてシートベルトを外す。
車の中にはポッキーの甘い香りが広がっていて、法介の顔もまた間抜けな表情で愛らしい。

「ちょ、何言ってるんですか」
「それ食べ終わったらロック解除するから」

響也のなんともワガママな言葉に頭が痛くなる。
しぶしぶと箱を開けて中を見ると、後3本あった。いきなり食べろと言われても、困る。
法介は一本取り出すと響也の面白そうに釣り上がっている唇にチョンっとポッキーをあてた。すると、一瞬驚いた顔をした響也だが、そのまま器用に唇でポッキーをはさんでモグモグと食べる。
その隙に自分でも一本。
人に見られているとなんとも食べにくいのだ。
残り一本。
どうしようかと考えていると、ギターを弾いる少しだけ骨ばったしっかりした指が一本、最後のポッキーを抜いた。

「これで完食だね」

そのまま法介の唇にちょんっと、さっき法介が響也にしたのと同じようにポッキーをあてた。
響也とは違って、そのまま反射的に口を開けてポッキーをくわえてしまったが、すぐに硬直して動けなくなった。
さくさくさくっ
響也の唇が、顔が、段々と近付いてくる。

「!!!」

法介が急いでポッキーを噛み砕こうとした瞬間。
ちゅっ
唇が重なっていた。
しかしすぐに唇は離されて、不気味なほど嬉しそうな顔をした響也が「やっぱ美味しいね」とポッキーを咀嚼していた。
呆気に取られて、何も言えない。

「あ、おデコくん。口の端についてる」

動けない法介の頬を両手で包みこむと響也は、それはそれは楽しそうに法介の唇をついばんだ。
最初は軽く、だんだん甘く、深く。
法介の方に体重をかけて押し乗ると、法介も力が抜けてきたのかだんだんシートに乗るように、倒れていく。
戯れのようなキスがむさぼるようなキスに変わるまで、そんなに時間は必要ではなく、甘い口内と肉厚の舌に法介の表情がとろけ始めた。
よっし!
響也が心の中でガッツポーズを決めた瞬間。

こんこん。

誰かの車の窓を叩く音。
誰だ、甘い時間を邪魔したやつは。
名残惜しく唇を離し、窓を見ると。
ニット帽の、元弁護士。

「ちょっとー盛るなら、うちの事務所と事務所以外の場所にしてくれる?」

11月11日。
一気に正気に戻った法介の熱い拳が、響也の下顎にクリティカルヒットした。

END