『風邪』

忙しい時は公園で。
そう約束したものの、なかなか約束を果たせる日が来ない。
検事と弁護士という身分の違いというか職業の違いが、こんなに大きいものなのかと思ってしまう。
売れてる弁護士なら兎も角、まだまだ新人でしかも名前も売れてない弁護士など、近所の何でも解決屋にすぎず。
方や有名な検事となれば大小構わず事件を回され、かつバンド活動もしているとなれば多忙を極めている。
お互いに携帯を持っているものの、いつもは五月蝿いくらいにメールや着信があったのも、ここ数日は連絡もない。
……生きてるんだろうか。
王泥喜法介22歳。
彼の部屋の合鍵を受け取ってから初めて、その前に立った。
お洒落な外装に自分の所とは違うな、と比べてしまう。セキュリティのレベルなんて全然違った。エントランスに監視カメラなんて一般の民間人が住む所じゃないと思っていた。
……確かに彼は民間人じゃないけど。
緊張に震える指でエレベーターのボタンを押して、やってきたは部屋の前。
今更になって彼が留守だったらどうしようと悩む。
一応、休みであろう日曜を狙ってきたのだが、検事は関係ないのかもしれないし、事前に連絡もせずに来られたら誰だって迷惑である。
……手土産に自分の好きな店のお菓子まで買ってきてなんだが、ちょっと無駄だったかもと思う。
貰っていた鍵をポケットの中で握りしめて、インターフォンを押した。
いなければ、メモと一緒に部屋の中に入れておけばいいし。
むしろいないで欲しいかも。

「……やっぱ留守だよな」

ピンポーンと軽快な電子音だったが、その後の沈黙は重たい。
ポケットから鍵を出すとガチャガチャと扉を空けて「お邪魔します」と一言、玄関にお菓子を置いてメモを探した。
部屋の主はいるのかどうか分からないが、一足は脱ぎ捨てられていた。何足も持っているのだろうから、部屋にいるだろう確信は持てない。

「……あーやっぱ無い、か」

いつも手帳とペンはポケットに入れてあるが今日は日曜で、うっかり家に忘れてきた事を思い出す。
勝手知ったる……ほどでは無いが、ある程度通い慣れている部屋だ。通うというよりも連れ込まれていると言った方が正しいが。
靴を脱いで上がった。
確か、台所にメモがあったハズだから、それを使おう。
相変わらず綺麗に片付いている部屋で、悪く言うと生活感の無い、ホテルのような部屋。
法介は目当てのメモ帳を見つけると、サラサラと文字を書いて、テーブルの上に置いた。
やはり留守なのか。
部屋の中は静まりかえっており、耳が痛い。

「また、来ますから」

誰もいないだろう部屋で法介が一人呟く。
きびすを返して玄関に向かう。
すると。
ガタンっと音がした。

「え」

振り返るにもリビングと台所には誰もいない。
もしかして、いるんだろうか。
どこかに。

「が、牙琉検事?いるんですか?」

しーん。
部屋は沈黙を守るばかり。
なんだか気味も悪くてキョロキョロと不安気に周りを見渡す。
確か、ちょっと遠くから物音が聞こえた気がする。
そう、壁の向こうとか。
恐る恐る検事?と呼びながら彼の寝室の扉を開けた。
いるとしたら、ここしかないと思う。
すると、案の定。

「……うぅ、誰、だい」

苦しそうなうめき声が部屋の半分を占領しているベッドの上から聞こえた。
留守かと思ったが、どうやらいたらしい。
久し振りに聞く声になんだか胸が熱くなって安心する。

「風邪、ですか?」

部屋の中に進むとクッションに半ば埋もれるようにして響也が布団をかぶっていた。

「その声は……おデコくん?」

何やら元気が無くかすれた声。
覇気が無くうるんだ目。
完全に風邪だ。

「はい。王泥喜です」
「わータイミング悪いなぁ」

もそもそと布団の中から顔を出して、法介を見ようと起き上がる響也の肩を軽く押してベッドに寝かせる。

「メールも電話もこなかったんで、心配になって来ちゃいました」

響也の額を触ると、少し熱かった。
枕元には水差しが置いてあるが、中身は空で、冷えパックと書かれた冷湿布の残骸がゴミ箱から逸れて散乱していた。

「あぁそっか。携帯なんて……どこにいったか分かんないや」

ははと笑うが、それが喉を引っかかるのか、同時にゲホッとむせる。
あぁと思いながら、水差しを手に取りに台所で新しい水を入れて、響也に差し出した。
少しだけ上半身を起こしてやると、ごめんね、と受け取り、その水をごくごくと飲む響也の姿が何とも言えない。
ふぅと一息つく。

「あー生き返った。本当に有難う、おデコくん」
「熱は?」
「峠は越えたよ。あとは咳と鼻水と頭痛が治まるのを待つだけ」

法介に礼を言うと響也は再び布団に潜り込んだ。

「やれやれ。今年の風邪はしつこくてね。検事局で流行ってるの、つい貰っちゃったよ」

ほら、普段の行いがいいからさ。人もいいしね。
苦笑気味で教えてくれるのもいいが、何とも痛々しいのは本人も気付いているのだろうか。
法介は返事をしながら散らかりかけのベッドの周りのゴミをゴミ箱に入れつつ、ついでに何かのきっかけで落としたのであろう、充電切れでベッドの下にスライディングしていた携帯を救い出す。

「あ、有難う」

充電機に差し込み、電源を入れると、不在着信やらメールやらを一気に受信し、野太いバイブ音と共にラブラブ・ギルティーが流れ出す。

「わっわ」

驚いた法介が慌てて適当なボタンを押すと受信音は消えたが、この分だとまたいつ鳴るか分からない。

「そこの黄色のボタン分かる?横についてるの。それ、マナーモードになるから」

ベッドの上から苦笑気味の響也の指示に法介が慣れない手付きで何とかマナーモードにする事に成功した。
病人にもちょっと五月蝿いね、それ。
疲れた響也の声がした。

「何か足りないものありますか?」
「ほーすけ」

ばちんっ!
殴っていた。
きっと寝てばかりでロクに外に出ていないだろうから聞いたのに、なんだその即答は。
響也は仮にも病人なんだよ、と法介に殴られた額を笑いながらさすっていた。
さすがに可哀想な事をしたとも思うが、連絡もなく、来てみればこんな状態の響也を見た、こちらの気にもなって欲しい。
台所に行って冷蔵庫を開ければ、ほとんど空。
救急箱の中の冷湿布も、風邪薬も底をついていた。

「……今日、俺が来て良かったですね」
「んー?」

この人、明日には死んでいたんじゃなかろうか。

「ちょっと薬と食料、買ってきますから」

日曜、幸い自分は忙しくない。
こうなったら連絡の無かった時間の埋め合わせ位のつもりで看病に決定した。

「え、おデコくん?」
「気持ち良くなってきたら、寝てていいですから」

合鍵を掲げて見せて、法介は部屋を出た。






もう治りかけだから平気なんだけど。
ベッドの中で響也は寝返りを打った。
うとうと寝たり起きたりを繰り返していたから、今日が何日かなんて分からない。どうやら法介が暇な日だというのはかろうじて分かったのだが、彼はいつも暇と言っても過言じゃない。だるい体を叱咤してサイドテーブルの上に、充電機に刺さっている携帯電話を引き寄せた。
……どうやら本気で数日の間の記憶が無い。
枕元に置いてあった手帳のスケジュールと携帯電話の日付を確認すると、頭が痛くなってきた。
これは風邪だけの症状ではない。
急ぎの連絡だけ確認しておこうと着信履歴とメール受信だけにザッと目を通す。
途端に、目頭が熱くなった。
一件だけ。
滅多に見られないメールがあった。
どうしてすぐに返信をしなかった自分が悔しい。
あぁでもこれは保護しておかないと、そうだ、パソコンに送って保存しておかないと……!
ガチャリ。けんじー?おきてます?
行動が早いのか法介の帰宅の音。
どうやら彼は今日は看護してくれるらしいから、思い切り甘えてみてもいいのかもしれない。
携帯のメールだけ保護をかけて、元の位置に戻す。
風邪って案外いいものかもしれない。






牙琉検事へ

仕事、忙しいんですか?
無理しないで下さいね。


王泥喜

END