『呼び方』
「おデコくんー」
カランと軽い音を立てて転がる氷を見ながら、響也が名前を呼んだ。
「なんですか、検事」
それに対してやたらと、つっけんどんというか、冷たいというか、そっけないというか……兎に角、愛情の籠っていない、あからさまにどうでも良いと思っているような相手に向ける言葉の温度に響也の心も軽くへこみかける。
や、ここで泣いてしまってはダメだ。
地味にアプローチをしていこうと夜に枕を濡らしながら考えたじゃん、自分!
ウサギのように可愛い二本の角を生やして、丸い額を出してオールバックにしている王泥喜法介に恋する事しばし。中々に両想いへの道が遠い事を知ったのは自分の恋心を自覚して間もない頃だった。
天然・鈍感を地でいく相手は予想以上に手強くて、燃えるものがあった。
今迄、この容姿と手管に落ちなかった相手などいない。
「あーもっと温かい言葉かけてくれてもいいんじゃない?」
「用が無いなら話しかけないで下さい」
言葉の温度ってものをもっと敏感に感じ取りなよ、その腕輪は飾りなのかい。裁判所の近所の行きつけの喫茶店に法介を連れ込めたのはラッキーだったが、思った以上に法介と自分には深くて暗い溝があるらしい。
二人一緒に頼んだはずのアイスコーヒーも先に飲み干したのは自分。
資料を取りに来たらしい法介は手元の資料に釘付けで、ちらりともこちらを見ようともしない。
……ちょっと悲しいかな。
「僕たち、出会ってから結構たつよね?」
「……」
「そろそろお互いに打ち解けても良いと思うんだ」
「……」
「そうだな……その内、一緒にディナーでもどうだい?プライベートでさ」
「……」
あぁ虚しい。
ここまで綺麗に無視をされると、清々しい。
二本の角を生やしたウサギは、こっちの話を聞いているのか否か、一向に反応がない。
思い出したようにコーヒーを口にし、また資料を捲る。
今日はもうダメかなと思い、それでも引き下がれない自分がいて、何か収穫を得ようと思う。
「…おデコくん、無視ってのは酷くない?」
「俺の名前はおデコくんじゃありません」
返事が返ってきた!と喜んで顔が綻ぶのを隠せない。
良い印象であれ悪い印象であれ、法介が反応した事が嬉しい。
……これは相当の末期か。
思わず前のめりになってしまう。
「なんだ、おデコくんは呼び方が気に食わないんだ」
「だから、俺の名前は」
「法介」
「!」
キョトンとした顔が可愛い。
これは良いものが見れた。
次の曲のシナリオが頭の中に浮かんでは消える。次はテンション高くハードロックでベース音メインのドラムが激しく脈打ち、自分のシャウトが決まるのがいい。
法介に捧げるロック。
彼がロックを嫌いだと言っていたが、この鼓動と胸の高鳴りは止められない熱い音でストレートに表現したい!
響也の頭の中でどんどん話が進む中、法介はただ唖然としていたが、立ち直ると、キッと響也を睨んだ。
「いきなり呼び捨てですか」
ガードの堅いウサギは警戒するような上目使いで響也を睨みつつ、手元の資料をカバンに閉まっていた。
これは話をする気になったのかもしれない。
…帰る気になったのかもしれないが。
法介は無意識か腕輪を押さえつつ響也を見て、響也は止まらない思考に身を任せつつも法介を見つめている。
「キミが嫌がったんじゃないか。おデコくんは嫌なのだろう?」
「だけど、いきなり呼び捨ては無いんじゃないですか?」
半分程に減っていたアイスコーヒーを一気に飲み干すと法介は拳にグッと力を込めて、響也に向き合う。
それさえも可愛く見えてしまう響也の目は盲目そのものだが。
「順序ってもんがあるでしょう?」
「じゃ、なんて呼んで欲しい?」
「なんてって……」
「おデコくんもダメ、法介もダメ。じゃ、なんだったらいいの?」
ファンから殺されそうな程、甘い笑顔を浮かべているのに、響也は気付いているのだろうか。
その視線に法介は落ち着かなくなる。話題がそうさせるのか、響也がそんな雰囲気を作っているのか。よく分からないけども、恥ずかしい。
「お、王泥喜です」
やっとの思いで言えた言葉はそれだけ。
自分を納得させるように何度も繰り返した。
「そうです、俺は王泥喜です。名前の前に名字から始めて下さい」
「ふーん。王泥喜くん……ね」
それじゃ兄貴と一緒なんだって。意味無いし。
響也としては自分と霧人が同じ呼び方をしたくない訳で。
年が離れた兄だが容姿も声も似ているのだ。霧人と同じ呼び方をしては、どっちがどっちだか分からない。
キミがそれでいいなら、僕は構わない思い出して、苦しいんじゃないか。
自分の初舞台の裁判。
担当検事ではなかったものの、しっかりと裁判記録には目を通してあった。
あの、伝説で……しかし自分との裁判で弁護士資格を失った、あの男が手助けをした裁判で逮捕された兄。
兄から聞く話、そういう関係だったと聞く。
霧人は遊びだったと言うが、彼にとってはどうなんだろう。
「いいんです。王泥喜です」
「ふーん」
まぁ今回はこの顔を見れただけで良しとしよう。
椅子から立ち上がるとレシートを手に取って法介を見下ろした。
「分かったよ、次からこう呼ぶから」
キミが少しでも彼を忘れて自分を見るように、ね。
「またね、法介」
END