第四話 観戦デート
「馬鹿め。だから、あいつは打てないんだ」
ライが喋る。
「もっと腰を落とせ。重心が高いぞ」
ライが喋る。
「おい馬鹿猫。タオルだ」
ライが喋る。
「……おい、聞いているのか?」
ライが喋る。
「おい!」
ガシッ。
コノエのモノローグを無視したライの強力な腕力は黙々と作業していたコノエを軽々と持ち上げた。
「っなんだよ!」
汚い部室をいかに片付けるか考えながら手洗いで汚れたタオル洗っていたコノエは茶色の泡を両手につけたまま、ぶんぶんと手を振り回してライから解放されようと動くが、それをもろともせずにライはコノエを自分の目線に合わせると、もう一度告げた。
「タオルを寄越せと言ったんだ」
「……ほらよ」
その横暴な物言いにコノエはとびっきりの悪意を込めて、ベチャァと濡れて洗い途中のタオルを差し出した。
ライは一瞬、眉をひそめると少し汗のかいた額をコノエの胸にグリグリとすりよせた!
「ちょ、なにすんだよ!」
「つがいである俺に優しく出来ない嫁など、こうだ!」
「だーから!つがいじゃねぇっつってんだろ!」
マネージャーとして、野球部に入部する事になったコノエは自己中心的かつ横暴な白猫……実は3年生だというライに日々振り回されていた。
急に「つがい」だの言われ驚いたりもしたが、今ではマネージャーのマの字も仕事内容がまとめられていない野球部でも仕事だけは溢れていて毎日が忙しい。実は野球部に入っていないのに野球部に誘ったライは大きく入部宣言をした後に夏まで時間が無い!とスパルタ練習を開始し、きっとどこの野球部もそろそろ3年生が2年生に仕事を少しずつ教える頃であろう時期に見事に3年生中心の野球部になっていた。
「っだから俺は忙しいの!乾いたタオルなら、あっちのベンチに置いておいたから好きなの使えよ」
「おい、今週の土曜は暇か?」
「聞けよ、人の話!」
俺の道だから俺の好きなように歩くをモットーにしているらしい大型の白猫はコノエのジャージでしっかりと汗を拭き取ったらしく、コノエを地面に下ろし、ついでにとばかりにコノエとは視線を合わせないように遠くを見ながら尋ねてきた。
「……今週?特に、無いけど」
それでも律義に答えてしまう素直さが恨めしい。コノエは水と泡のしたたるタオルを再び桶に入れると、ザブザブと洗い出した。洗濯機がないから全手動な手洗いなのだ。マネージャーの仕事はこれに始まり終わると言っても過言では無かった。
「では敵情視察に行くぞ」
ライはニヤリと笑った。
「今年の夏の優勝候補高校の試合を見に行く」
※※※※※
何故かコノエとライの二匹だけだった。
他の野球部員には練習メニューを渡してあり、世話を焼くはずのコノエはライな肩を抱かれながらスタジアムの隅に座っていた。
「あれが優勝候補の吉良高校だ」
黒のユニフォームを身につけた部員がグラウンドの中を走り回っていた。
コノエは事前に入手していた名簿と顔を一致させるように見比べていると、見覚えのある名前と顔に動きが止まる。
「ま、さか」
「どうした?」
コノエの様子にライが声をかけてきた。コノエの指があるピッチャーを差して止まっているのを怪訝そうに見る。
「知り合いか?」
「う、うん。多分」
その瞬間にドンッ!と強い音がグラウンドから聞こえた。まるで車にぶつかったかのような重い音だ。
ライが鋭い視線で見る。
「アサト、か……」
ライバル誕生の瞬間であった。
練習試合が終わりコノエがどうしてもと言う為にライは渋々と練習試合場に残っていた。
出口を待っていると、ぞろぞろと吉良高校の野球部員が荷物を抱えて出てきた。
そして目当ての人物が出てきたのであろう、それまで所在無さ気に揺れていた尻尾が嬉しそうにユラユラと揺れ、コノエは普段の人見知りが嘘のような表情で手を振る。
「アサトっ」
すると黒い集団の中から、黒いマフラーを巻いた黒猫が一匹出てくる。険しい表情で、一体誰なんだろうと警戒していたのだろう。しかしコノエをはっきりと認識したらしいその表情は一転して幼く嬉しそうに微笑んだ。
「コノエ!」
「覚えててくれたんだな、アサト!久し振りだなー幼稚園以来だよな?」
コノエがアサトと呼んだ黒猫にギュッと抱きついた。
瞬間にライの青筋が増えたがコノエは気にする事なく喉を鳴らしている。アサトも満更でも無いらしく頬を染めながら嬉しそうにコノエの頭を撫でていた。
「コノエ、どうしてここに?練習試合、見に来たのか?」
「う、うん。あのな……」
「敵情視察だ」
いつまでも抱きついて離れないコノエを無理矢理はがし、ライはコノエを抱き寄せた。
「ちょ、何すんだよ!」
暴れるコノエを押さえつけ、ライはアサトを睨みつける。
「やめろ!コノエが嫌がってる」
「ふん。この馬鹿猫のつがいは俺だ」
コノエを助けようと動いたアサトを尻目にライはビクビクと怒りに動くコノエの耳に、噛みついた。
「だから、つがいじゃないって……ひんっ!」
びくりっ。
コノエが耳の刺激で力の弱まった所でライは更にコノエをしっかりと抱きしめた。
「コノエ!」
「自己紹介が遅れたな」
余裕の表情でライが告げた。
「俺の名はライ。この夏の優勝杯を貰い受ける男だ」
※※※※※
「おい、バルド。今から夏にかけて暇か?」
世間様が休暇に入ろうとするGW直前。ライは滅多に入らない職員室の、滅多に来ない家庭科教師の前に立っていた。
「な、なんだよ突然」
「暇かどうかを聞いている」
ライの高圧的な態度に職員室の空気が不安を抱えながら事の成り行きを見守っている。
バルドは突然現れたライに怯みもせず、面倒そうに頭をかいた。
「なんだ。まさか今さらやんのか?やめとけ、やめとけ。うちじゃ無理だ」
「不可能を可能にした猫と呼ばれた男と話をしている」
ライの瞳には強い決意を秘めていた。
「甲子園に行くぞ」
続く。